2009年11月3日火曜日

寒くなった。

「実に寒い」と思ったら早、11月に入っていた。
すこぶる体調悪し、氷雨が顔に当たり、頭がキンキンしだした。

次回作の顔合わせをした後、少し芝居から頭を放してみようと思ったら、体調まで悪くなってしまった。
芝居の事を考えてないとダメって事なのか?ナンタルチヤ!

と言うことで、また考え出したら元気になり出してきた。

「血の婚礼」という芝居の役名は一人だけ名前があるが、後は村の女とか娘1とか青年2とか、母親とか花嫁とか敢えて記号化されているので、僕としては人物に入りにくい。
若い頃はチェーホフとかの芝居で、舞台でナターシャとか呼んでいると、虫ずが走る感じがした、俗に言う赤毛モノと言う奴だが、それに比べれば幾分ましかもしれない。

ロルカが敢えて固有名詞を付けない「血の婚礼」の真意は、どこにあるのだろうと、考えてはまたその考えを疑りだす。
唯一の役名が「レオナルド」と呼ぶ既婚の男だが、この名前に纏わる事柄が物語を貫くキーワードに成っていくのは、少し考えれば誰にでも分かる答えだろう。
それから、どこの田舎でも起こりうる偏在的な物語として読むというのも、在り来たりの解釈だろう。

最初に感じる違和感を突き詰めて行くと、鉱脈を掘り起こせるときがあるものだ。もう少し考えよう。
でも、どうも理屈ではないような気がして成らない。

時間を少し置いて、改めて読み直すと新たな疑問が立ち現れ、芝居の世界に誘いだしてくれる。頭でいくら考えても、人間の不可解さや、関係の不条理さは、現実に起こりうる事柄を超えられやしないのだ。
何故人は争うのか?何故人は血を流し続けるのか?憎しみは何をもたらすのか?


 

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