2009年8月28日金曜日

カポーシアターひとまず終演

乃木坂のコレドで行われたカポーシアターvol .1「ビロードの夜に」も盛況の内に無事幕を下ろすことが出来ました。
協力してくれた仲間達、そして足を運んで頂いた観客達に御礼申し上げます。


宮沢賢治の言葉と精神を扱うのは、やはり至難でしたが、お客様の反応は上々で、アットホームなビロードの夜のような素敵に不思議な二夜が生まれました。
タダゆったりと観て頂こうと思っておりましたが、思った以上にお客様が入りすぎてしまって、少々窮屈な思いをさせてしまったのではないかと気がかりです。

出演者達も大勢の観客に身近で観られ、最初は戸惑い気味でしたが、やっている内に空間を掴んでいったようでした。

さあ、これからです!
「血の婚礼」に向けて頭を切り換えなければ…。


 

2009年8月19日水曜日

「物語る演劇」 さあ、どこまで行けるか?

宮沢賢治に挑み、役者陣はその深みにあっぷあっぷしながら、カポーシアター第1弾「ビロードの夜に」の稽古は、只今真っ直中だ!
作曲・演奏の神田晋一郎氏の音楽も冴えだし果敢に新たな世界を生み出している。


僕自身も賢治の作品中、初めて扱う4編(マリヴロンと少女、まなづるとダァリヤ、いてふの実、シグナルとシグナレス)を原文そのままに劇化していくのだから、かなり真剣にチャレンジしていかなければ、賢治風の雰囲気だけになってしまうのが怖い。これが正直な今の感想だ。


カポーシアターとは、「劇場」という約束された演劇の場以外で行う非演劇的行為なのだ。逆に言えば人が集う場所ならそこを劇場にしていく、そうした活動でもある。
役者達は演じると言う事を再度捉え直さなければならなくなるだろう、だからそう容易くは行かないのは当然と言えば当然だ。

まず作品を理解をしなければ自由になれないし、そして観客に伝える意志を持つこと、まずそこから出発して表現に辿りつく。この事は至って当たり前の事だが、その未踏の一歩を自分の足で踏み出すのが難しいのだと思う。

観衆の前で演じると言う事は、どうやら自明でもなければ、約束されてるわけでもないのだ。
結果としての表現が生まれ、その方法の一つとして演じるという現象がが起こるのだと僕は思っている。
カポーシアターは、否応なく自らの演劇の概念を見直さなければならず、役者がもっとも鍛えられていく、そんな試みでもある。


ようやく大変なことをやり出した事に役者達も気がつき始めたようなので、かなり面白くなるかも知れない。
役者と言う生き物は、本当の瀬戸際に立ったとき忘我の粋に達すると僕は思っている。

 
今回は都会の日常ではあまりお目にかかれない、賢治のあの不思議なトリップする世界が現出する かも知れない。
いや、是非観客を一つの青い因果交流電灯の灯る、ウンプテンプワールドへ誘いたい。

公演は今月の26日と27日の7時半より行うので、変幻の光のトリックのような世界を甘受するのがお好きな方は、是非乃木坂まで足を運んで貰いたい。