2008年7月17日木曜日

また一つ重くなった

本日はチラシを担いで、ミーティングに向かう。だが女性陣は誰も来ず、何だむさ苦しい奴ばかりで、話題もむさ苦しい、谷君もっとぽんぽん喋ってくれ。暑いんだから。そこへ新参加の岡部君突如現る。いいねやっぱり若い男は新鮮だね。しかし、レッド・ツェップリンやジャニスの話を揚々とするな、生まれてもいなかったくせに。若いあいつらから観ると僕はどんな存在なんだろう?大いなる疑問だ。

そう、今日聞いた。先輩の中村方隆さんが亡くなった。35年前、僕と入れ違いに黒テントを離れた人なんだけど、旅先で良く芝居の話をしてくれた、希有なほど穏和な優しい役者だった。彼の伝説は沢山残っている。しかし善人は早いな67歳だった。
ああ又背中がずしりと重くなる。沢山背負ってしまったぞ。まだまだ脳天気で芝居をしていたいのに……重くなる。ああ無情 南無三。

2008年7月12日土曜日

芝居の感想

もう一つ、最近観た芝居の事を書き残そう。

7/1 シアター代官山へ「母の桜が散った夜」を観に行った。
ウンプテンプ・カンパニーの蜂谷が客演していたから、何となく心配で観に行った。心配は的中。

芝居と言うよりタレントのお披露目会とスクールの発表会が合わさったようなモノだった。 唐突にダンスシーンが有ったり、歌を歌ったりと、何がしたいのか見え見えになってしまっている。

とは言っても作・演出は森本某という、若いときに唐組に居たとかいう奴。今はれっきとした映画のシナリオライターなのだ。にしては台本がひどいぜ、どうひどいかは敢えて言いたくもないが…。
まあ、演劇はホームグランドではないから手を抜いて書いたのだろうと思うと納得できる。
プロダクション関係の女の子を使っているが、実物の方が圧倒的に魅力的だ。蜂谷は、ちゃんと芝居をしようとしていたのが救いだった。

舞台はそんなに甘くないぜ。と拘っている僕はもうすでに時代錯誤なのか?いや、もしそんな時代ならこっちから願い下げだ。
芝居に不純なモノを入れたくないと思って作ってきた僕が馬鹿に思えるほど、不純の固まりのような芝居、ぬけぬけとここまで来ると商魂のたくましさが立派と思えてしまう。芝居を見終わって、暫く忘れていた業界人の厚顔な面を思い出した。
「もっとちゃんと芝居をやろうよ」と当てもなく呟きたくなった。

観劇してしまった。

観劇の感想を書こう。
空はどんよりとした梅雨空だが、気分はそんなに悪くない。
神楽坂ディープラッツに出かける。gucci&bocciの『戸惑いの午后の惨事』 を観にだ。
次回作の「三日月のセレナーデ」に参加予定の役者が出演するから、少しワクワクしていたかも知れない。

僕としては珍しく律儀に開場時間に間に合うように受付に行くと、美術家の蟹江杏が「早いね」と言った。確かに客は僕しかいなかった。取りあえず劇場に入って席にカバンを置いて、横目で美術セットをちらりと覗き、外でたばこを吹かしていた。ごちゃごちゃしてた今までのセットとは少し趣が変わりこじんまりとすっきりと飾ってあった。二間ぐらいの八百屋盆は役者が動きにくそうだと思ったが、胸の内にしまっておいた。

芝居が始まるとライトショーが暫く続き、音楽と共にセットを綺麗に浮かび上がらせている。
そんなケレンは本筋と関係ないだろうなと思っていたら、やはり上手くコミットはしていなかった。でも綺麗だったからヨシとするか?
全体的にテンポは快調で小気味は良かったのだが、緩急やメリハリの計算が下手なのか一本調子に思えた。出演者は皆演じる事が好きなのだろうが、行動の動機が無いと言っては身も蓋もないので、大げさと言う言い方が的を得ている。芝居がオーバーになる事と過剰になる事では雲泥の差なのだが、どうしてもオーバーになってしまっていた。僕のような人間はもうついて行けなくなる。
丁寧に作った感はあって良かったのだが、どうしても演劇の世界が自閉的になってしまうのは、演劇の在り方を根本から考えさせられる。
良くも悪くも若い芝居なのかも知れない。芝居を掘り起こしたり、劇構造を構築する技量が求められるが。センスが面白いだけに惜しい。
ラストの演出の思いつきも面白いのだが、詰めが甘く、思いつきに見えてしまう。言い出せばきりがなさそうだ、と、言う事はそんなにつまらなくはなかったのかもしれ無い。