2011年3月14日月曜日

あそこには海の劇場があった。

 
どのくらい前になるのだろう。

宮城県の気仙沼の唐桑町という所で、臨海劇場と銘打った町をあげてのイベントに参加した時の事を思い出してしまう。


僕は地元の有志たちに呼ばれたて、勇んで仲間たちと即興劇づくりのワークショップを作りに唐桑に行った。

臨海劇場とは、唐桑町の大きめの入り江に、竹を組んだ骨組みに船乗りたちからかき集めた大漁旗で覆った、海沿いに立ち上げた仮設劇場の事だ。

演目は、地元の人たちが演じる取材劇、そしてスターリンの遠藤ミチオのパンクロック、岡林信康が大人っぽく歌い、北方舞踏派系のアルタイ派と名乗る舞踏家たちが筏に乗って踊りながら海の向こうから現れる。

今でもはっきりと脳裏を横切る。
髪を逆立てている、遠藤ミチオの仙台からやって来た追っかけたちが、漁村ののどかな風情とは場違いな風に堰堤をうろうろしている。
暗黒舞踏の異形な風体の若者たちは、何故か風景に溶け込んでいたのが妙に気になった。


毎日、集会所に寸劇作りのために集まるのだが、参加している地元の奴らは時間通りにはまず来ない。ましてや途中で帰ってしまったりで、僕は業を煮やして実行委員会の人に「これじゃあ俺たちが何のために来たのか分からない」そう言って東京に引き上げようとした。

その翌朝の早朝のことだ。
宿舎で寝ていた僕の寝床の回りに実行委員会の何人かのメンバーが土下座して居るじゃないか、そして委員長が「頼む、分かってくれ!俺たちには俺たちの生活のリズムがあるんだ」うる覚えだが、そのような事を言って深々と頭を下げられた。
何せ寝込みを襲われ、半ば強引に引き留められ、再び芝居作りのワークショップは続けられた。


そして彼らは大漁旗で覆われた海の劇場で、巧みに観衆の笑いを取りながら演じる事を楽しんでいた。
その後、唐桑臨海劇場は数年続けて開かれた。




唐桑という場所は、気仙沼の北側に突き出たリアス式の半島で、マグロ遠洋漁業の漁師たちが大勢住むマグロ漁の基地のような所で、沢山の入り江ごとにある集落で出来た町だ。
猟師たちは遠洋へマグロを追って家には半年は帰ってこないので、男たちは普段は極めて少ない。


半島の小高い山頂の少し開けた所に小さな祠があり、そこからは気仙沼湾が一望できる場所がある。
そこは旦那が遠洋に漁に出かけるのを、女たちが見送る所なのだ。
そして男が乗る漁船は湾内を一周して、どこか遠くの海へと船出して行くそうだ。
船が見えなくなるまで見送ると、残された女たちは祠に無事を祈るのが習わしだと聞いた。


彼らの土地に根ざそうとする生き方、そこから生まれる矛盾など、未だに僕にはとうてい理解できない。彼らも僕のように演劇なんかに拘る生き方はまず理解できまい。
ただ、一夜の祭りのために必要としあった事だけは確かであり、そこで繰り広げられた芝居は、確かに観客と一つになり熱気を放っていた。
そして僕に演劇は一つだけではない事を教えてくれた。


いつの間にか僕も少しは大人になった、「もう帰る」など駄々は捏ねないだろう。
そう、いつの間にか時は過ぎる。
どんなに辛い時も、楽しい時すら移りすぎて行くようだ。



山伝いに火送りで、入り江に停泊している漁船に合図を送ると、波間に揺れる漁船は、打ち合わせ通り本ベル代わりに一斉に汽笛を鳴らす。

照明が灯る。入り江の水面は水鏡となり、海に面した土塀をゆらゆらと、幻想的に浮かび上がらせている。

鳴り物を鳴らし子供たちを先頭に、少し照れた地元の出演者たちが行進しながら、色鮮やかな大漁旗の劇場に入場して行く。

座布団持参の観客の甲高いしわがれ声がわき上がる。

さあ、始まりだ!

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