芝居作りは難しいと思わなくなったが、広告デザインは奥が深く芝居作りで一番、経験がない分労力と頭を使う。
この時期に出演者が全員が揃って写真を撮る事自体かなり大変だ。
昨今、芝居を観に行くと沢山の折り込みチラシを貰うが、チラシはセンス良く綺麗でおもしろそうに思わすチラシがあるが、その芝居を観に行くと…あれ別物?その手合いのモノが多すぎる。
資本主義全盛(スターリン共産主義の時も)の中で成長した「生産効率」と言う名のもとで、大事なモノが次々その本質を失っていく。いや、正確には、いつの間にか生じた様々な「制度」を疑うことすら出来ず考えなく受け入れてしまっているように思える。
そんなにみんな仕事がしたいのかよ?
以前情報誌の「ぴあ」が、チケットぴあなるものをコンピューターを導入して、商いをやり始め出した時があったが、その時はまだ物議を呼んだ。
とかく物事が変質する時は、常に最初は氷山の一角なのであるが、一度それを受け入れてしまうと、後はなし崩し的にテクノロジーという名の怪物が、効率化と経済性という美名の名のもとに、元々の本質が流れ去られてしまう。
でも人それぞれ、チマチマと面白可笑しく、楽に小金を貯め、ちょっと贅沢に少しオシャレに生きていきたいのであれば、それもまた良しなのだろうが…。僕は面白いとは思えないだけだ。
僕の芝居作りは否応なくそうしたした世の中の仕組みに抗ってしまう。
「モノを知らない若い演劇人が多すぎる、男優に多い」俳優を仕事にしたければ、もっと言葉を覚えて貰いたい。
要するに沢山本を読めと言うことだ。
それから間違っているのは、映像と舞台は基本が違いますよ。
アイドルやイケメン俳優を使って客集めしたい気持ちは分かるが、そんなに舞台が簡単に踏めるのが安直だ。演劇が集客命に走りすぎて、自分で自分の首を絞めている気がする。
最近、演劇の経済性のたがが外れたのか、不況だというのに入場料が暴騰しだした。どう考えても今が踏ん張りどころだと思うんだけどな…。
自分の立っている足元の砂をせっせと掘っている感じだ、とうの本人は映像に出たい一心なのか?に、しても自分の公式プロフィールにPV出演まで書くなよ。
ありゃ小遣いが稼ぎに、こっそりするモノだろう。
言い出したらきりがないから止めよう。
若い頃、コンピューターグラフィックスなどと言う言葉すら無かった時代がある。
その頃、平野甲賀さんのデザイン事務所に遊びに良く伺った。(本当は用事を言付かっての使いっ走りだが)平野さんは淡々とブツブツ呟きながら、細かい手作業で貼ったり切ったりしていた、大変な職人芸のようだったが実に味わい深い仕事をしていた。その後に美味しい珈琲をごちそうになり、20才そこそこの若造に四方山話をしてくれたのを思い出す。
とにかく、ここから始まり出すのだ。ウンプテンプ・カンパニーの芝居作りは…。























