黒色綺譚カナリア派の「そまりえ」の千秋楽を阿佐ヶ谷のザムザまで、息を切らせてチャリンコを漕いで観に行った。
作ろうとする世界に親近感を感じるだけに、感想が少し辛口になる事をご理解願いたい。
芝居は生き物、テンポの悪い千秋楽の芝居の問題かも知れないが…。
僕は、開演から10分ほどで芝居を追えなくなった。と、言うより観るべき物がなくなると行った方が正確かもしれない。
やり尽くされた方法やイメージも若い人には新鮮かも知れないが、先達がさんざん実験してきたのだから、カナリア派にはその先を構築していって貰いたい。
世界を反転させるには、冷静な気迫を持ち合わせなければ、劇的な手管になってしまう。
男と女の役割を逆転させるモチーフは観念的過ぎやしないか?
演じる方は具体性の積み重ねていくのだから、観念それ自体は演じられないと思う。
声の出し方の身体の使い方、空間認識、物の扱い、一つ一つが雑になり描こうとする物を壊しているように思える。一言で言えば美しくもなければエロチックでもない。
分かりやすい少女趣味のグロテスク性だけが浮遊しているように思えてしまう。
よしんば軽く今風にでもやろうとしているのならば、それはお門違いだと思う。
もっと時間を掛けて台本を練って貰いたい、センスだけでは芝居は作れないのだから。
それから、役者に遠慮しないで演出して貰いたい。これは願望。
ザムザの空間が狭いのだから、もっと丁寧に作らなければ、雑さが感じられ手抜きに思えてしまう。
観客にとってはトラムでやっても円形でやっても、芝居は芝居なのだから。
今回の芝居が、かみ合わずテンポが悪いのは、根源的なアンサンブルの問題かも知れない。思いが揃っていない、そう言っちゃおしまいかな。
言いたいことを言っているが、次回を期待したい劇団であることには変わりはない。
芝居の感想や稽古場の記録として、忌憚なく思った通り言葉を残そう。 気分を悪くした関係者の方には申し訳ないが、 ひねくれ者の戯れ言として受け流して貰いたい。
2008年10月16日木曜日
見事に裏切られた
グローブ座を観た夜に、新宿のタイニアリスに向かう。『JANIS -Love is like a Ball and Chain-』を観にだ。さすがに芝居の梯子はきつい。
ジャニス・ジョプリンの死ね一ヶ月前からを描いた作品だ。
観終わった後、正直「この野郎」と憤懣やるかたない思いに包まれていた。
芝居のどうこうではない、ジャニスの最後のLP「パール」を買って聞いていたその当時が過ぎってしまったからだ。
ジャニス役をオーデションで公募したと聞いていたので、よせばいいのにと思っていた僕を、ジャニス役の武井翔子嬢は見事裏切ってくれた。
後で聞いたら彼女は、声楽を学んでいたと言うから二度びっくり。
ジャニスの歌を心を振り絞りながら見事熱唱していた。
ジャニスが好きな連中が集まって、芝居仕立てのライブ公演と言った感じだが、「好きは物の上手なり」これ表現の確信でもある。その事に改めて気づかされた。
ついぞここの所そう言う公演に立ち会っていなかった。
当たり前のことから始まり、何となく出来上がってしまった制度に流されず、果敢に好きな精神を再現しようと、一丸となって作りだした作品なのだから、この公演は軽々しく半端な批判など出来やしない。
昼間見た公演とは真逆の方向性なのだ。
生き方なのか、世代なのか、僕には分からないが、こうした精神性へのこだわりは少しでも長く、まだまだ荒削りでも良いから持続させて貰いたい。
彼らは、多分観た客に言われているだろうが、僕は敢えて反対の事を言いたい「芝居など上手くなる必要はない」と。
ジャニス・ジョプリンの死ね一ヶ月前からを描いた作品だ。
観終わった後、正直「この野郎」と憤懣やるかたない思いに包まれていた。
芝居のどうこうではない、ジャニスの最後のLP「パール」を買って聞いていたその当時が過ぎってしまったからだ。
ジャニス役をオーデションで公募したと聞いていたので、よせばいいのにと思っていた僕を、ジャニス役の武井翔子嬢は見事裏切ってくれた。
後で聞いたら彼女は、声楽を学んでいたと言うから二度びっくり。
ジャニスの歌を心を振り絞りながら見事熱唱していた。
ジャニスが好きな連中が集まって、芝居仕立てのライブ公演と言った感じだが、「好きは物の上手なり」これ表現の確信でもある。その事に改めて気づかされた。
ついぞここの所そう言う公演に立ち会っていなかった。
当たり前のことから始まり、何となく出来上がってしまった制度に流されず、果敢に好きな精神を再現しようと、一丸となって作りだした作品なのだから、この公演は軽々しく半端な批判など出来やしない。
昼間見た公演とは真逆の方向性なのだ。
生き方なのか、世代なのか、僕には分からないが、こうした精神性へのこだわりは少しでも長く、まだまだ荒削りでも良いから持続させて貰いたい。
彼らは、多分観た客に言われているだろうが、僕は敢えて反対の事を言いたい「芝居など上手くなる必要はない」と。
昼間の新大久保
グローブ座へ千秋楽のパパ・タラフマラの「ガリバー&スウィフト-」を慌てて観に行った。
感想は未成熟とか未完成、中途半端という言葉がぴったりだろう。少し期待して行っただけに落胆した思いだ。
舞台作りは、良いときもあれば悪いときもあるのは重々承知で敢えて言う。
パーフォーマンス系の公演なのだが、イメージの喚起力が弱い。物の使い方のアイデアはふんだんに有るのだが、各場面の方向性やイメージを出演者が共有していないように思えた。いや、演出の強い意志とかテーマが希薄なだけなのかも知れない。
言葉の観念はあるのかも知れないが…。 エスプリが伝わらない。
だからなのか、どこかで見た事のあるような亜流の表現をふんだんにコラージュしていたように思えてならない。
ショーとして見ても、金を労力と人材を掛けているのに、それ以上の舞台のダイナミズムが生まれてこない。CGを駆使した今時のハリウッド映画でも見ていた方がよほど楽しませてくれるし、安い。
やろうとしている事やその方法論は面白そうなのだが、言うや安しなのだと改めて思う次第だ。時間が必要なのだ。練って共有してまとめ上げる、その時間と労力が足りないのかもしれない。舞台に置かれたオブジェだけが目立って存在していた。
この事は肝に銘じよう。いくら才能豊かな個人がいても、この主体を促して行く事は並大抵の事ではないし、まして歌ったり踊ったりすれば、表現者の技術に置き換わって行かなければならないのだから、成熟していく時間が掛かる。
舞台前面にクリア球のイルミネーションを並べないでくれ、目が痛いからね。
アレがある事で空間のイメージが変わらなくなるよ。
にしても使いづらいあのグローブ座をよく選んだものだ。半円のそびえ立つ客席に対して一方舞台は観客に不親切になってしまう。
あの劇場は目線が嫌でも上がってしまうのだから、照明の吊り位置が悪すぎるため演者の目線が影になって見えない。
もっとシンプルに、気負わずはっきりしている事を精密に積み重ねて、舞台に乗せていった方が迫力と豊かさが生まれるのではないか?
このブログを読まれた方に、一度、フランク・ハーバート原作 デイヴィッド・リンチ 監督の「砂の惑星」を観ることをおすすめする。
感想は未成熟とか未完成、中途半端という言葉がぴったりだろう。少し期待して行っただけに落胆した思いだ。
舞台作りは、良いときもあれば悪いときもあるのは重々承知で敢えて言う。
パーフォーマンス系の公演なのだが、イメージの喚起力が弱い。物の使い方のアイデアはふんだんに有るのだが、各場面の方向性やイメージを出演者が共有していないように思えた。いや、演出の強い意志とかテーマが希薄なだけなのかも知れない。
言葉の観念はあるのかも知れないが…。 エスプリが伝わらない。
だからなのか、どこかで見た事のあるような亜流の表現をふんだんにコラージュしていたように思えてならない。
ショーとして見ても、金を労力と人材を掛けているのに、それ以上の舞台のダイナミズムが生まれてこない。CGを駆使した今時のハリウッド映画でも見ていた方がよほど楽しませてくれるし、安い。
やろうとしている事やその方法論は面白そうなのだが、言うや安しなのだと改めて思う次第だ。時間が必要なのだ。練って共有してまとめ上げる、その時間と労力が足りないのかもしれない。舞台に置かれたオブジェだけが目立って存在していた。
この事は肝に銘じよう。いくら才能豊かな個人がいても、この主体を促して行く事は並大抵の事ではないし、まして歌ったり踊ったりすれば、表現者の技術に置き換わって行かなければならないのだから、成熟していく時間が掛かる。
舞台前面にクリア球のイルミネーションを並べないでくれ、目が痛いからね。
アレがある事で空間のイメージが変わらなくなるよ。
にしても使いづらいあのグローブ座をよく選んだものだ。半円のそびえ立つ客席に対して一方舞台は観客に不親切になってしまう。
あの劇場は目線が嫌でも上がってしまうのだから、照明の吊り位置が悪すぎるため演者の目線が影になって見えない。
もっとシンプルに、気負わずはっきりしている事を精密に積み重ねて、舞台に乗せていった方が迫力と豊かさが生まれるのではないか?
このブログを読まれた方に、一度、フランク・ハーバート原作 デイヴィッド・リンチ 監督の「砂の惑星」を観ることをおすすめする。
2008年9月23日火曜日
大忙しで駆け回る
2008年9月14日日曜日
シアターΧに懐かしい人達
両国にシアターΧに足を運んだ。
遠藤拓郎氏の「小栗判官」を観に行った、遠藤さんとは以前、演出を受けた事もあるし麻雀も良くやってたのに。挨拶をしたのだがどうも僕を認識をしていない感じだった。
後で聞いたのだが、僕が来ていたとしったら遠藤さんは驚いていたとか。彼の中では僕は25年前の青年のままなのかも知れない。
でもその方が素敵なので、いつまでもそう思っていて貰いたい。僕の心持ちは若いときと何も変わっちゃあいないのだから。
舞踏を多用した「小栗判官」なのだが、遠藤さんも変わっちゃあいないので少し嬉しくなった。でも今観ると人の世の深みを感じてしまうのは何故なのだろう。遠藤さんの作る世界は中世を題材にした物が多いいが、実は近代のその先を見詰めているのかも知れないと。
孫ぐらい若い人達と芝居を作る彼は、僕が若いときと変わりないと、舞台を観てそう思えた。
話せば長くなるので、芝居の感想は後で直接みんなと話したい。
遠藤拓郎氏の「小栗判官」を観に行った、遠藤さんとは以前、演出を受けた事もあるし麻雀も良くやってたのに。挨拶をしたのだがどうも僕を認識をしていない感じだった。
後で聞いたのだが、僕が来ていたとしったら遠藤さんは驚いていたとか。彼の中では僕は25年前の青年のままなのかも知れない。
でもその方が素敵なので、いつまでもそう思っていて貰いたい。僕の心持ちは若いときと何も変わっちゃあいないのだから。
舞踏を多用した「小栗判官」なのだが、遠藤さんも変わっちゃあいないので少し嬉しくなった。でも今観ると人の世の深みを感じてしまうのは何故なのだろう。遠藤さんの作る世界は中世を題材にした物が多いいが、実は近代のその先を見詰めているのかも知れないと。
孫ぐらい若い人達と芝居を作る彼は、僕が若いときと変わりないと、舞台を観てそう思えた。
話せば長くなるので、芝居の感想は後で直接みんなと話したい。
2008年9月2日火曜日
しばらく話が盛りあがる
あの懐かしい王子小劇場まで、競泳水着なるところの「真剣恋愛」なる芝居を観てしまった。王子小劇場はUMP TEMPの旗揚げの時の劇場だ。
その時の公演は客が来すぎて詰めに詰めて芝居をやった。そして劇場の人に怒られた。感謝されるのだとばかり思っていたから、何で怒られたのか分からず呆然とした記憶がある。
小劇場には20年位遠のいていたから、世の移り変わりについて行けてない、浦島太郎状態だったんだろう僕はきっと? ?そんなあまり良い印象がないので、芝居の感想も変な事を書きそうで怖い。
観劇後、観てはならない物を観てしまった物同士で酒を飲み、観てはならない物の事に話が弾んだ。あの芝居を観たのだから小劇場の芝居はどんな芝居でも許せる思いだ。少し心が広くなった気がする。感謝
最後に劇団「競泳水着」のロゴに描かれている水着の胸の谷間は、僕のセクシャリティーとは少しずれている。にしても、ここの作・演出家さん、あんたセンスむき出しで潔し。
その時の公演は客が来すぎて詰めに詰めて芝居をやった。そして劇場の人に怒られた。感謝されるのだとばかり思っていたから、何で怒られたのか分からず呆然とした記憶がある。
小劇場には20年位遠のいていたから、世の移り変わりについて行けてない、浦島太郎状態だったんだろう僕はきっと? ?そんなあまり良い印象がないので、芝居の感想も変な事を書きそうで怖い。
観劇後、観てはならない物を観てしまった物同士で酒を飲み、観てはならない物の事に話が弾んだ。あの芝居を観たのだから小劇場の芝居はどんな芝居でも許せる思いだ。少し心が広くなった気がする。感謝
最後に劇団「競泳水着」のロゴに描かれている水着の胸の谷間は、僕のセクシャリティーとは少しずれている。にしても、ここの作・演出家さん、あんたセンスむき出しで潔し。
2008年8月23日土曜日
観劇は忙しすぎる
今日は田町まで劇団レッド・フェイスの「ブルーライオン」を見せて貰った。
次回作に一緒に芝居をする女優が二人出演していたので観に行った。
稽古場を改造した劇場だと言ってたがそう悪くわない。芝居の物語は上手く伝わらなかった。気が付いたのだが僕はあまり台詞をまじめに聞いていないのかも知れない。だから話しについて行けない。
僕が劇場の中で信じられるストーリーって奴は、先ずはアクシデント。それと役者と役者の間に発生する言葉にならない関係性。
やはり、その先の関係の展開を観たい知りたい感じたい。
言葉は嘘を付く。
役者はもっと大嘘つきだ、台本読んで最後まで知ってやっているのだから。
芝居だからと言って、知らない振りを客にさせないでくれ。
ギャグネタもふんだんにあったが、前列の一団が大笑いしていたので、僕は繁々彼らを観察していた気がする。
僕は芝居で何を見ているのだろう、上を見ては灯体の数を数えてたり、舞台の塗り忘れの白身を調べてたり、役者の履き物をチェックしてたりと、そりゃもう忙しいもんだ。
次回作に一緒に芝居をする女優が二人出演していたので観に行った。
稽古場を改造した劇場だと言ってたがそう悪くわない。芝居の物語は上手く伝わらなかった。気が付いたのだが僕はあまり台詞をまじめに聞いていないのかも知れない。だから話しについて行けない。
僕が劇場の中で信じられるストーリーって奴は、先ずはアクシデント。それと役者と役者の間に発生する言葉にならない関係性。
やはり、その先の関係の展開を観たい知りたい感じたい。
言葉は嘘を付く。
役者はもっと大嘘つきだ、台本読んで最後まで知ってやっているのだから。
芝居だからと言って、知らない振りを客にさせないでくれ。
ギャグネタもふんだんにあったが、前列の一団が大笑いしていたので、僕は繁々彼らを観察していた気がする。
僕は芝居で何を見ているのだろう、上を見ては灯体の数を数えてたり、舞台の塗り忘れの白身を調べてたり、役者の履き物をチェックしてたりと、そりゃもう忙しいもんだ。
2008年8月12日火曜日
何とも懐かしい芝居
本多劇場へと流山児事務所の「由井正雪」を観に足を運ぶ。
本当に久日ぶりの流山児の芝居だ。
かつて2度ばかり観た記憶があるが、どんな内容の芝居か定かではないほど昔だ。
流山児の芝居は本多劇場の間口ではスカスカになるだろうなと思っていたら、その通りだった。
歌や群で踊ったり賑やかに空間を埋めているのだが、どうも内容が満ちていない。
色々演出の手管は使っているのだが、とってつけたような物で、あまり面白みは感じなかった。また直ぐに忘れてしまうだろうな。
それにしても以前勢いがあって好きだった俳優が出ていたのだが、芝居の仕方が叔父さんになっていてびっくり、まあそれだけ時間が経ったという事なのか?
最近、僕は昨日病に掛かってしまったようだ。何十年前の事が昨日の出来事のように思えてしまう。あまり良い感じではない。
本当に久日ぶりの流山児の芝居だ。
かつて2度ばかり観た記憶があるが、どんな内容の芝居か定かではないほど昔だ。
流山児の芝居は本多劇場の間口ではスカスカになるだろうなと思っていたら、その通りだった。
歌や群で踊ったり賑やかに空間を埋めているのだが、どうも内容が満ちていない。
色々演出の手管は使っているのだが、とってつけたような物で、あまり面白みは感じなかった。また直ぐに忘れてしまうだろうな。
それにしても以前勢いがあって好きだった俳優が出ていたのだが、芝居の仕方が叔父さんになっていてびっくり、まあそれだけ時間が経ったという事なのか?
最近、僕は昨日病に掛かってしまったようだ。何十年前の事が昨日の出来事のように思えてしまう。あまり良い感じではない。
2008年8月9日土曜日
チンチン電車に揺られて
早稲田から都電に乗り、昔の仲間がやる芝居を観る。
寸劇は都電の中で行われた。役者も揺れながら、観客(乗客)も揺れながら早稲田から三ノ輪まで空間と時間を共有する。その事がすでに演劇的で面白かった、内容は東京の大空襲の話なのだが、内容のメッセージがダイレクトすぎて、都電ののほほんとした雰囲気と上手くかみ合わない感がした。
細かい事を言えば色々あるかも知れないが、都電の窓越しに観る外の景色と、話柄をダブらせると、いやでも想像力を刺激された事は確かだ。
寸劇は都電の中で行われた。役者も揺れながら、観客(乗客)も揺れながら早稲田から三ノ輪まで空間と時間を共有する。その事がすでに演劇的で面白かった、内容は東京の大空襲の話なのだが、内容のメッセージがダイレクトすぎて、都電ののほほんとした雰囲気と上手くかみ合わない感がした。
細かい事を言えば色々あるかも知れないが、都電の窓越しに観る外の景色と、話柄をダブらせると、いやでも想像力を刺激された事は確かだ。
2008年7月17日木曜日
また一つ重くなった
本日はチラシを担いで、ミーティングに向かう。だが女性陣は誰も来ず、何だむさ苦しい奴ばかりで、話題もむさ苦しい、谷君もっとぽんぽん喋ってくれ。暑いんだから。そこへ新参加の岡部君突如現る。いいねやっぱり若い男は新鮮だね。しかし、レッド・ツェップリンやジャニスの話を揚々とするな、生まれてもいなかったくせに。若いあいつらから観ると僕はどんな存在なんだろう?大いなる疑問だ。
そう、今日聞いた。先輩の中村方隆さんが亡くなった。35年前、僕と入れ違いに黒テントを離れた人なんだけど、旅先で良く芝居の話をしてくれた、希有なほど穏和な優しい役者だった。彼の伝説は沢山残っている。しかし善人は早いな67歳だった。
ああ又背中がずしりと重くなる。沢山背負ってしまったぞ。まだまだ脳天気で芝居をしていたいのに……重くなる。ああ無情 南無三。
そう、今日聞いた。先輩の中村方隆さんが亡くなった。35年前、僕と入れ違いに黒テントを離れた人なんだけど、旅先で良く芝居の話をしてくれた、希有なほど穏和な優しい役者だった。彼の伝説は沢山残っている。しかし善人は早いな67歳だった。
ああ又背中がずしりと重くなる。沢山背負ってしまったぞ。まだまだ脳天気で芝居をしていたいのに……重くなる。ああ無情 南無三。
2008年7月12日土曜日
芝居の感想
もう一つ、最近観た芝居の事を書き残そう。
7/1 シアター代官山へ「母の桜が散った夜」を観に行った。
ウンプテンプ・カンパニーの蜂谷が客演していたから、何となく心配で観に行った。心配は的中。
芝居と言うよりタレントのお披露目会とスクールの発表会が合わさったようなモノだった。 唐突にダンスシーンが有ったり、歌を歌ったりと、何がしたいのか見え見えになってしまっている。
とは言っても作・演出は森本某という、若いときに唐組に居たとかいう奴。今はれっきとした映画のシナリオライターなのだ。にしては台本がひどいぜ、どうひどいかは敢えて言いたくもないが…。
まあ、演劇はホームグランドではないから手を抜いて書いたのだろうと思うと納得できる。
プロダクション関係の女の子を使っているが、実物の方が圧倒的に魅力的だ。蜂谷は、ちゃんと芝居をしようとしていたのが救いだった。
舞台はそんなに甘くないぜ。と拘っている僕はもうすでに時代錯誤なのか?いや、もしそんな時代ならこっちから願い下げだ。
芝居に不純なモノを入れたくないと思って作ってきた僕が馬鹿に思えるほど、不純の固まりのような芝居、ぬけぬけとここまで来ると商魂のたくましさが立派と思えてしまう。芝居を見終わって、暫く忘れていた業界人の厚顔な面を思い出した。
「もっとちゃんと芝居をやろうよ」と当てもなく呟きたくなった。
7/1 シアター代官山へ「母の桜が散った夜」を観に行った。
ウンプテンプ・カンパニーの蜂谷が客演していたから、何となく心配で観に行った。心配は的中。
芝居と言うよりタレントのお披露目会とスクールの発表会が合わさったようなモノだった。 唐突にダンスシーンが有ったり、歌を歌ったりと、何がしたいのか見え見えになってしまっている。
とは言っても作・演出は森本某という、若いときに唐組に居たとかいう奴。今はれっきとした映画のシナリオライターなのだ。にしては台本がひどいぜ、どうひどいかは敢えて言いたくもないが…。
まあ、演劇はホームグランドではないから手を抜いて書いたのだろうと思うと納得できる。
プロダクション関係の女の子を使っているが、実物の方が圧倒的に魅力的だ。蜂谷は、ちゃんと芝居をしようとしていたのが救いだった。
舞台はそんなに甘くないぜ。と拘っている僕はもうすでに時代錯誤なのか?いや、もしそんな時代ならこっちから願い下げだ。
芝居に不純なモノを入れたくないと思って作ってきた僕が馬鹿に思えるほど、不純の固まりのような芝居、ぬけぬけとここまで来ると商魂のたくましさが立派と思えてしまう。芝居を見終わって、暫く忘れていた業界人の厚顔な面を思い出した。
「もっとちゃんと芝居をやろうよ」と当てもなく呟きたくなった。
観劇してしまった。
観劇の感想を書こう。
空はどんよりとした梅雨空だが、気分はそんなに悪くない。
神楽坂ディープラッツに出かける。gucci&bocciの『戸惑いの午后の惨事』 を観にだ。
次回作の「三日月のセレナーデ」に参加予定の役者が出演するから、少しワクワクしていたかも知れない。
僕としては珍しく律儀に開場時間に間に合うように受付に行くと、美術家の蟹江杏が「早いね」と言った。確かに客は僕しかいなかった。取りあえず劇場に入って席にカバンを置いて、横目で美術セットをちらりと覗き、外でたばこを吹かしていた。ごちゃごちゃしてた今までのセットとは少し趣が変わりこじんまりとすっきりと飾ってあった。二間ぐらいの八百屋盆は役者が動きにくそうだと思ったが、胸の内にしまっておいた。
芝居が始まるとライトショーが暫く続き、音楽と共にセットを綺麗に浮かび上がらせている。
そんなケレンは本筋と関係ないだろうなと思っていたら、やはり上手くコミットはしていなかった。でも綺麗だったからヨシとするか?
全体的にテンポは快調で小気味は良かったのだが、緩急やメリハリの計算が下手なのか一本調子に思えた。出演者は皆演じる事が好きなのだろうが、行動の動機が無いと言っては身も蓋もないので、大げさと言う言い方が的を得ている。芝居がオーバーになる事と過剰になる事では雲泥の差なのだが、どうしてもオーバーになってしまっていた。僕のような人間はもうついて行けなくなる。
丁寧に作った感はあって良かったのだが、どうしても演劇の世界が自閉的になってしまうのは、演劇の在り方を根本から考えさせられる。
良くも悪くも若い芝居なのかも知れない。芝居を掘り起こしたり、劇構造を構築する技量が求められるが。センスが面白いだけに惜しい。
ラストの演出の思いつきも面白いのだが、詰めが甘く、思いつきに見えてしまう。言い出せばきりがなさそうだ、と、言う事はそんなにつまらなくはなかったのかもしれ無い。
空はどんよりとした梅雨空だが、気分はそんなに悪くない。
神楽坂ディープラッツに出かける。gucci&bocciの『戸惑いの午后の惨事』 を観にだ。
次回作の「三日月のセレナーデ」に参加予定の役者が出演するから、少しワクワクしていたかも知れない。
僕としては珍しく律儀に開場時間に間に合うように受付に行くと、美術家の蟹江杏が「早いね」と言った。確かに客は僕しかいなかった。取りあえず劇場に入って席にカバンを置いて、横目で美術セットをちらりと覗き、外でたばこを吹かしていた。ごちゃごちゃしてた今までのセットとは少し趣が変わりこじんまりとすっきりと飾ってあった。二間ぐらいの八百屋盆は役者が動きにくそうだと思ったが、胸の内にしまっておいた。
芝居が始まるとライトショーが暫く続き、音楽と共にセットを綺麗に浮かび上がらせている。
そんなケレンは本筋と関係ないだろうなと思っていたら、やはり上手くコミットはしていなかった。でも綺麗だったからヨシとするか?
全体的にテンポは快調で小気味は良かったのだが、緩急やメリハリの計算が下手なのか一本調子に思えた。出演者は皆演じる事が好きなのだろうが、行動の動機が無いと言っては身も蓋もないので、大げさと言う言い方が的を得ている。芝居がオーバーになる事と過剰になる事では雲泥の差なのだが、どうしてもオーバーになってしまっていた。僕のような人間はもうついて行けなくなる。
丁寧に作った感はあって良かったのだが、どうしても演劇の世界が自閉的になってしまうのは、演劇の在り方を根本から考えさせられる。
良くも悪くも若い芝居なのかも知れない。芝居を掘り起こしたり、劇構造を構築する技量が求められるが。センスが面白いだけに惜しい。
ラストの演出の思いつきも面白いのだが、詰めが甘く、思いつきに見えてしまう。言い出せばきりがなさそうだ、と、言う事はそんなにつまらなくはなかったのかもしれ無い。
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