次回5月公演「メメント・モリ」
さて、こんな贅沢な芝居を上演するとは思っても見ませんでした。
出演者もさることながら、ふんだんに飛び出す楽曲の数々、
衣装の絢爛さ、懲りに凝った舞台と照明、
それにも増して間近で見られる荒唐無稽な物語。
商業的な演劇では決して真似の出来ない、アンサンブルでゴシック調のお芝居をお見せします。
乞う御期待!!
このお芝居の冒頭は、マドリガル風の歌で始まります。
~序曲~
これよりご覧頂く物語
奇想天外 空と大地がひっくり返り、
夜明けというのに陽が沈む。
雄鳥、戸惑い啼き続け、雌鳥ふててって卵も産まぬ。
遺跡や名跡、数々あれど、雨に打たれて瓦礫に変わり
風に吹かれて日差し照り付き草木は茂る。
お偉い奴らはお骨になっても宝石身に付け名を残し、
名もない骨など見むきもされず、瓦礫と一緒に捨てられる。
墓を掘り起せ せっせと掘り起こしては篩いに掛けろ。
その時、壁が崩れて、溢れ出た。赤銅色の髪が溢れ出た。
しゃれこうべから、乱れて伸びて、奇跡を起こす。
伸びた髪の毛 ざっと計って二十二メートル。
ウェディングベールのように髪を垂らした少女が一人。
狂った犬に咬まれて少女が吠えて。
娘に焦がれた神父が狂う。
汚物まみれの独房で、二人が交わす蜜の味。
ホントのような嘘など通りの角を曲がればどこにもあるが、
嘘のようなホントにゃ滅多にお目にはかかれぬ。
月日はもどり遡り、二百年前へと巻き戻る。
ガレオン船の帆を縫えば、海の向こうのグラナダへ。
赤や黄色の旗なびかせて、ヌエバ・グラナダへ。
黒人奴隷が売り買いされて、白人貴族は馬車に乗る。
風が熱く駆け抜け日陰で吐息が漏れる。
ここはサンタ・クララ女子修道院。
芝居の感想や稽古場の記録として、忌憚なく思った通り言葉を残そう。 気分を悪くした関係者の方には申し訳ないが、 ひねくれ者の戯れ言として受け流して貰いたい。
2013年4月21日日曜日
2012年8月4日土曜日
秋のウンプテンプ・カンパニー
秋に上演する「新譚サロメ」の出演者達。
この作品は5年前に上演したモノですが、この度大幅に改訂しての再上演になります。この間にゲーテのファーストやガルシア・ロルカのテキストに挑む事で、自らもテキストに対しての要求が高くなったと言う事なのでしょう。それから俳優や僕も年を重ね、より密度の高い作品作りに挑みたくなりました。とはいうモノの瑞々しく突き上げてくる感情は失いたくないと足掻いています。新しいメンバー構成での上演ですので全く違った作品に仕立て上げていきます。
2012年4月17日火曜日
「春を忘るな」無事全日程を終えることが出来ました。
ウンプテンプ・カンパニー第11回公演「春を忘れるな」は幕を閉じました。
「春を忘るな」へ感想をくれた方々には感謝です。
当然一様の感想では無いですが、概ね賛否両方の感じ方は理解出来ます。いや分かりすぎると言った方が正解かも知れません。
正直もう少し妄想が肥大した、感想も頂きたかったのですが、そこら辺が作り手側の課題だと思い、声に成らない声に耳を傾けよう。
多大な尽力をお貸し下さった、大勢の方々にこの場で有難うと言いたい。
次回公演は社会情勢を鑑みながら決定したいと思っています。
とにかく年内には上演したいと考えていますので、その時は直ぐに告知いたしますので、益々のご贔屓をお願いします。
「春を忘るな」へ感想をくれた方々には感謝です。
当然一様の感想では無いですが、概ね賛否両方の感じ方は理解出来ます。いや分かりすぎると言った方が正解かも知れません。
正直もう少し妄想が肥大した、感想も頂きたかったのですが、そこら辺が作り手側の課題だと思い、声に成らない声に耳を傾けよう。
多大な尽力をお貸し下さった、大勢の方々にこの場で有難うと言いたい。
次回公演は社会情勢を鑑みながら決定したいと思っています。
とにかく年内には上演したいと考えていますので、その時は直ぐに告知いたしますので、益々のご贔屓をお願いします。
2012年3月1日木曜日
次回公演のご案内
「春を忘るな」
物語は、梅の花が開いたそのときに、二人の女が鎌倉の山荘へ、
とある青年を訪ねていったことから始めましょう。
青年はただただ梅の初花の前で鴬を待っていました。その青年の名は知実。
かつて製糸会社の若社長で、二人の女と関係があったもよう。
一人の女は知実が愛人にしていた女工で、今はカフェの女給をしている女、依子。
もう一人の女は知実の元婚約者であり、かつての面影を失った女、雪枝。
二人の女は、記憶を無くした知実をかいがいしく支える奇妙な女、梅に出迎えられます。
皆で揃い、思い出話をするうちに、記憶が花開き、昭和の御代が色づきます。
いつしか過ぎし日の出来事と鎌倉の地で非業の死を遂げた魂、源実朝
(鎌倉幕府の開祖、源頼朝の息子)の歌と混じり合い、あわれのほかには言葉が見つからない一夜の
幻に変わり、露と消えてゆきました。
実に、摩訶不思議な幻想奇談であります。
作・加蘭京子 演出・長谷トオル 音楽・神田晋一郎
劇場:絵空箱(最寄駅:江戸川橋徒歩2分)
竹組→ 鈴木太一 薬師寺尚子 水野さやか 西郷まどか
松組→ 成田明加 園田綾香 森勢ちひろ 長尾稔彦
4月
9(月)14時~竹 20時~松
10(火)14時~松 20時~竹
11(水)14時~竹 20時~松
12(木)14時~松 20時~竹
13(金)14時~竹 20時~松
14(土) OFF
15(日)15時~松 18時~竹
16(月)14時~竹 20時~松
前売 2500円(ワンドリンク付き)
当日 3000円(ワンドリンク付き)
竹・松セット 4000円(2ドリンク付き)
「春を忘るな」 (ウンプテンプ・カンパニー) の感想・チケット・詳細情報なら演劇ライフ
2011年9月9日金曜日
「ベルナルダ・アルバの家」無事に終えることが出来ました。
今回は演劇を取り巻く情勢と、社会の大きな変動の時に向って、芝居を作り上演してきました。
標榜したのは「多世代演劇」と、「虚飾を廃する演出」上記した事への僕なりの挑み方でした。
まだまだ、やろうとしている事が完成されたとは、微塵も思っていません、寧ろ後悔の方が勝るっているほどですが、今の全力を傾けられたことには自身を持ってやったと言えます。
今回は優秀なスタッフたちや、女優たちのアンサンブルの妙で成功したと言える公演でした。余計な演出をしなかったのも良かったと思っています。
多くの観客からの反応と、予想を上回るほど期待感を持って芝居を観てくれたことへは、感謝の念に堪えません。
そして、趣旨に賛同して応援してくれた大勢の方々へありがとうと言いたい。
標榜したのは「多世代演劇」と、「虚飾を廃する演出」上記した事への僕なりの挑み方でした。
まだまだ、やろうとしている事が完成されたとは、微塵も思っていません、寧ろ後悔の方が勝るっているほどですが、今の全力を傾けられたことには自身を持ってやったと言えます。
今回は優秀なスタッフたちや、女優たちのアンサンブルの妙で成功したと言える公演でした。余計な演出をしなかったのも良かったと思っています。
多くの観客からの反応と、予想を上回るほど期待感を持って芝居を観てくれたことへは、感謝の念に堪えません。
そして、趣旨に賛同して応援してくれた大勢の方々へありがとうと言いたい。
2011年8月28日日曜日
「暗い恋の秘密の声よ」
ウンプテンプ・カンパニー第八回公演 「血の婚礼」より
「暗い恋の秘密の声よ」
婚礼の宴の夜に花嫁とかつての恋人、レオナルドが逃げ出した。後を追う新郎、と新婦の一族。皆を奮い立たせる新郎の母親(新井純)の芝居は必見
キャスト
新井純 坂元貞美 石井ひとみ 吉沢 惠(ダンサー) 木村準 手塚謹弥 蜂谷 眞未 桑原 なお 地曳 宏之 谷修 薬師寺尚子 成田明加 西郷まどか 森勢ちひろ 姫宮みちり
台本・構成・演出:長谷トオル
振り付け:伊藤多恵 (ダンスシアター他動式主宰)
舞台美術:蟹江 杏
作曲:神田晋一郎 (音楽美学主宰) 演出助手:中村昌利
照明:島田雄峰 (LST) 音響:長山雄作 衣装:竹本さよ子 佐々木麻衣 吉田奈央
舞台監督:高居長広 舞台監督助手:下谷高之 パンフレット編集:加蘭京子 宣伝美術:長谷 透 チラシ絵:川越良昭 チラシ写真:今井宏美
2011年8月7日日曜日
稽古場見学歓迎します。
「ベルナルダ・アルバの家」の稽古場は、出来る限り開いていきたいと思っています。
見学は8/15から行います。日時などがあれば是非稽古場へお越し下さい。
普段通りの稽古風景ですのでお構いは出来ませんが、
お気軽にお越し下さい。
稽古場所は板橋区の西台集会室で行っております。
池袋から東上線、東武練馬駅下車徒歩12分
地図 http://www.machi-info.jp/machikado/itabashi_city/index.jsp?mode=2
来られる日が分かりましたら、事前にメールでお知らせ下さい。
場所が分かりづらいですが、西台四丁目アパートの奥の一角にあります。
万が一の時は電話をして下さい。
メール sakana3@gmail.com
TEL 070-6650-2606 ウンプテンプ・カンパニー製作部
尚、稽古は午後2時からですが、少し余裕を見て早めに来て頂ければ幸いです。
「ベルナルダ・アルバの家」一同
2011年7月31日日曜日
人知れぬ死のガゼーラ「血の婚礼」より
「血の婚礼」より ロルカ作詞 人知れぬ死のガゼーラ 作曲 神田晋一郎
振り付け 伊藤多恵 構成・演出 長谷トオル 美術 蟹江杏
演奏Piano 神田晋一郎 Contrabass 河崎純 Violin 外村京子
歌=新井 純 ダンス=吉沢 恵
前作の「血の婚礼」では、大地に注ぐ陽光の日射しと陰に拘り、ふんだんにロルカの詩に曲付け構成しました。
今回の「ベルナルダ・アルバの家」では、閉ざされた屋敷の中で繰り広げられる世界なので、全くアプローチの方法を変えました。
演出的な見せ方を極力廃していく事にチャレンジしています。
振り付け 伊藤多恵 構成・演出 長谷トオル 美術 蟹江杏
演奏Piano 神田晋一郎 Contrabass 河崎純 Violin 外村京子
歌=新井 純 ダンス=吉沢 恵
前作の「血の婚礼」では、大地に注ぐ陽光の日射しと陰に拘り、ふんだんにロルカの詩に曲付け構成しました。
今回の「ベルナルダ・アルバの家」では、閉ざされた屋敷の中で繰り広げられる世界なので、全くアプローチの方法を変えました。
演出的な見せ方を極力廃していく事にチャレンジしています。
2011年7月2日土曜日
劇団性の崩壊と、ベルリンの壁の崩壊、そしてバブル景気の崩壊 (雑文)
89年にベルリンの壁が崩壊し、90年代を迎えソ連が崩壊していく。
若いインテリ演劇人であれば当然知っている歴史である。
その頃、日本ではバブル景気真っ直中だったが、ソ連崩壊直後バブルもはじけ飛んだ。
今、何故こんな事を書いているかというと、今の日本の演劇(社会)の変質が、この時の東西冷戦の終結と、バブル景気の崩壊とイデオロギー闘争の消滅によって、現実社会そして演劇人に強く影響して行ったのだと思えるからだ。
その頃、僕は32才ぐらいだったと思う、演劇などやっていると、将来の不安はつのるばかりで、息をするのも苦しくなってくる。(それは今も変わりはしないだろう)幸か不幸か僕のような演劇人にはバブルの恩恵などほとんど無かった。
そして幸いにも、僕が演劇をする事に反対し続けてくれた、父が亡くなり僅かばかりかの遺産が舞い込んだ。「これで三年は芝居に集中して出来るぞ」そう思うと途端に息が清々しだした。お終いに息子思いの父のありがたみを知った。
当時、一緒に芝居をしてた同じ年の奴が芝居を止め不動産業に付いた。
その後も奴は良く、かつての劇団の芝居を観に来てくれて、僕を終演後小じゃれたバーに飲みに連れて行ってくれた。
歌が下手なくせに、いつ覚えたか奴はマイクを手にして、聞いてられない流行の曲をカラオケで歌う。
そして真顔で財布を取り出し「俺のような者でも財布が立つようになるのがバブルなんだ」そう言ってカウンターに分厚い財布を立てバブルのなんぞやを説明してくれた。
僕はただ黙って眺めていた、そんな戦友であった友人を憐れにすら感じた。
「お前はがんばれよ」そう言って、別れ際にタクシー代にと言って、奴は申し訳なさそうに1万円を手渡してくれた。僕は当たり前のように受け取り、意気揚々と明日の本番に備えて電車で帰宅したのを覚えている。
ベルリンの壁の崩壊光景を映し出すニュースに胸を躍らせ、変わるだろうこれからの事の期待感を強く抱き、ソ連連邦は消え失せた。そしてバブル景気は急激にはじけ飛ぶ。これが90年代に誰もが影響を与え、何らかの記憶が蘇ってしまう、出来事なのだ。
プロデュース形式の芝居が頻繁に企画されるのがこの辺りからで、劇団を率いていた演出家が一本釣りされていく。そして残された劇団は役者のプールのようになり、プロディースされた演出家の芝居に出して貰うのだが、メイン所は客を呼べるバリューのある役者が担う。劇団自体の公演は日増しに減り出し、劇団員は所属している意味を考えは初め辞めていく。これは今でも変わらない構図だろう。
そして演出家は公共ホールの芸術監督へ就任したり、行政や大学の席へとパラサイトを始める。俳優の一部はマスコミへと仕事の場を移していく。
当時、何人かの他劇団の役者に相談をされた経験があるが、こればっかりは何とも上手く答えてあげられなかった。「悩んでるんだったら辞めちまえ」と言い放つしかなかったのを覚えている。
それまでは商業的な演劇と劇団固有の演劇とははっきり一線を引いてたのだが、90年台に入り次第に、その一線が溶解していくように崩れ去っていく。
今は皆が当たり前のように受け入れているだろうが、当時はいい訳を言いながら自ら一線を越えていった。
名古屋は大須にある「七ツ寺共同スタジオ」のいつも穏やかな二村氏は、強い口調で「あいつら、きちんと総括をしろ、みんなを巻き込むだけ巻き込んで」と行き場のない怒りにも似た言葉を放っていた。
彼らの一種の贖罪なのだろうか?文化庁の助成金制度と事は魑魅魍魎となり、助成を受ける既存の劇団は半ば固定され、団員たちはチケットを売らなくなってくる。
この時期、95年に平田オリザの「東京ノート」が岸田戯曲賞を受賞し、青年団は精力的に活動をしだしていく。
時代の変遷と日本の劇団性の崩壊をかいつまんで改めて思い出してみた。
そして2000年に入った辺りから、演劇ユニットの乱立し出し、そして今の理念なき小劇場ブームが始まるのである。その弊害については今は敢えて語らない事にしよう。
大事な事を言うならば、今また新たな大きな崩壊が起こっていると言うことである。
2011年7月1日金曜日
演劇を開くー(雑文)
僕は芝居を作るときその集団性に拘る。そして僕の拘る集団性というのは一方向のベクトルを持つ一枚岩の集団ではなく、社会の雛形としての集団である。各々が多様な在り方を保管しうるそんな集団なのだ。
大仰な言い方をすれば、作品を創るだけであれば三日もあれば事足りる。ところがどっこい僕には最低でも50日間余りは稽古時間が必要なのである。それは作品を創るための稽古と言うより、集団作りのための稽古と思っている。
俳優が、自分と作品との抜き差しならない関係に辿り着くためには、エイヤーとかけ声勇ましい意気込みだけではとうてい出会えない、己の奥底に潜む内なるモノと作品の何かとが触れ合って初めて「自分の芝居」と実感できるのだと思っている。
演出もその一人でありたい。そう思い通りに、急かして見つけられる類のものではなく、皆が集う場が次第に熟成して、一人一人がそれぞれ辿り付いて行くのだと思っている。そして、その為に演劇自体に内在する方法が有効なのであり。作品は結果生まれていくのだと思う。そこには経験の差も巧みさも関係なく、まずは初心に帰る技術のみが必要なのだ。
そうした主体的な個が揃った時、集団は創造集団となりダイナミズムを生み出し、演劇は演劇の枠を超え、オリジナルな総合芸術となっていくと考える。僕はそれを「劇的なる力」と呼ぶ。常に集団とはバラバラな個人の集まりから始まり出すのであり、そうして生まれた作品は社会の雛形である観客席に対するに値したものになる。そして集団は解体しまた集合し、これを繰り返していくのであろう。
欲を言えば劇場の壁をも突き抜け、まだ見ぬ観客へと向かっていきたい。いつの間にか「効率」と言うものが、背に腹は代えられないのか舞台芸術の世界にも専権して表現行為の不可思議な「制度化」が進んでいる事に危機感すら感じざるを得ない。
例え独りになっても僕は抗い続けるだろう。
類が友を呼ぶまで。
2011年6月11日土曜日
「俳優のための声のワークショップ」の記録 (ここをクリックして下さい)
先日行われた「俳優のための声のワークショップ」の詳細な記録を公開します。
この企画は今の演劇が抱える課題を、具体的な形で浮かび上がらせ、再認識する事を主眼とし、新井純がワークショップ形式で進行しました。この場で何をして、また何が語られあったのか、出来る限りオープンにしたいと思っています。加蘭京子が必死にスクリプトしたモノをまとめましたので、正式なワークショップの記録として公開いたします。
PDFファイル http://t.co/XnjF7sn
この企画は今の演劇が抱える課題を、具体的な形で浮かび上がらせ、再認識する事を主眼とし、新井純がワークショップ形式で進行しました。この場で何をして、また何が語られあったのか、出来る限りオープンにしたいと思っています。加蘭京子が必死にスクリプトしたモノをまとめましたので、正式なワークショップの記録として公開いたします。
PDFファイル http://t.co/XnjF7sn
2011年6月1日水曜日
ベルナルダ・アルバの家
「ベルナルダ・アルバの家」 前売り開始。
ガルシア・ロルカ 作 長谷トオル 演出
シアターΧ提携公演 後援:在日スペイン大使館
【あらすじ】
川のない、井戸水を頼りにする閉鎖的な村。
その村で家柄を誇る「ベルナルダ・アルバの家」に起きた出来事。
女主人ベルナルダは夫の死後、五人の娘たちに、八年間の喪に服する事を言い渡す。
その間、外出やおしゃれは許されない。
そんななか、長女に縁談が降ってわいた。
長女アングスティアスだけには莫大な遺産が相続されるのだ。
夜ごと長女の部屋を訪れる若い男(ぺぺ)の存在に色めきだつ姉妹たち。
なかでも末娘のアデーラはぺぺと逢瀬を繰り返し、
陶酔と絶望を受け入れていくようになる。
そんな二人を羨望の眼差しで見つめる四女マルティリオの執拗な嫉妬。
やがて逃れられない悲劇がベルナルダの一家を襲う。
【出演】
新井 純(フリー) 中川安奈(岡村本舗) 坪井美香(フリー) 内田晴子(スターダス21) こいけけいこ(太田プロ・リュウ.) 蜂谷眞未 薬師寺尚子 成田明加 森勢ちひろ 西郷まどか
【演奏】 神田 晋一郎(Piano) 則包桜(Percussion)
【期間】9/1~9/4 全席指定 【料金】前売り 4000円 学割3000円
台本・演出:長谷 トオル/台本協力:加蘭京子/作曲:神田 晋一郎/美術:荒田良/照明:谷川裕俊/ 衣装:竹本 さよ子/ 宣伝美術:長谷トオル/パンフレット編集:加蘭京子/ 照明操作:望月肇/スチール撮影:中道翔子/チラシ写真:福吉隼人/ 舞台監督:中村眞/制作:「ベルナルダ・アルバの家」制作委員会+中村昌利/ 制作助手:池田未優/企画:ウンプテンプ・カンパニー/ 後援:スペイン大使館
ガルシア・ロルカ 作 長谷トオル 演出
シアターΧ提携公演 後援:在日スペイン大使館
【あらすじ】
川のない、井戸水を頼りにする閉鎖的な村。
その村で家柄を誇る「ベルナルダ・アルバの家」に起きた出来事。
女主人ベルナルダは夫の死後、五人の娘たちに、八年間の喪に服する事を言い渡す。
その間、外出やおしゃれは許されない。
そんななか、長女に縁談が降ってわいた。
長女アングスティアスだけには莫大な遺産が相続されるのだ。
夜ごと長女の部屋を訪れる若い男(ぺぺ)の存在に色めきだつ姉妹たち。
なかでも末娘のアデーラはぺぺと逢瀬を繰り返し、
陶酔と絶望を受け入れていくようになる。
そんな二人を羨望の眼差しで見つめる四女マルティリオの執拗な嫉妬。
やがて逃れられない悲劇がベルナルダの一家を襲う。
【出演】
新井 純(フリー) 中川安奈(岡村本舗) 坪井美香(フリー) 内田晴子(スターダス21) こいけけいこ(太田プロ・リュウ.) 蜂谷眞未 薬師寺尚子 成田明加 森勢ちひろ 西郷まどか
【演奏】 神田 晋一郎(Piano) 則包桜(Percussion)
【期間】9/1~9/4 全席指定 【料金】前売り 4000円 学割3000円
台本・演出:長谷 トオル/台本協力:加蘭京子/作曲:神田 晋一郎/美術:荒田良/照明:谷川裕俊/ 衣装:竹本 さよ子/ 宣伝美術:長谷トオル/パンフレット編集:加蘭京子/ 照明操作:望月肇/スチール撮影:中道翔子/チラシ写真:福吉隼人/ 舞台監督:中村眞/制作:「ベルナルダ・アルバの家」制作委員会+中村昌利/ 制作助手:池田未優/企画:ウンプテンプ・カンパニー/ 後援:スペイン大使館
2011年5月7日土曜日
演劇のための演劇からの脱却
箱(劇場)の形が、表現の幅を規定していく。かつて労演運動と高度成長期の箱物行政が重なり、各地にプロセニアムアーチを持つ、雛形の1000人規模の市民会館が乱立して行った。僕の父も大手ゼネコンの現場監督していたので、当時の劇場マニュアルと図面にブツブツ言いながら格闘している光景を思い出す。
新劇団の発声方法やミザンセーヌの取り方は、こうしたプロセニアムアーチ(額縁舞台)に対応しながら定着していくわけだが、60年代から始まる小劇場運動とは、制度化された空間から表現を解き放ち、今を突きつける「場」として若い演劇人たちが、知らず知らず築き上げられた制度そのものに挑んでいった演劇運動である。そして様々な演劇的実験が繰り返し試みられた。
俗に言うアングラ演劇(アンダーグランド)とは「自由劇場」が六本木のビルの地下に作った小劇場から日本ではそう呼ばれだした。当初の状況劇場はトラックの荷台を舞台にし、移動しながら上演をしている。天井桟敷は渋谷に粟津潔の設計の小劇場を構えた。一方、早稲田小劇場は早稲田にある喫茶店「モンシェリ」2階を劇場として活動を始める。現在は早稲田大学内の「どらま館」である。
余談だが、僕は渋谷の天井桟敷に足を運ぶことが好きだった。寺山の芝居を観るではなく、劇場近辺をうろつくと、そこには一風変わった若い者達が何となく屯していたからだ。
また、より自由な空間を求め、移動する演劇空間としてテント芝居が生まれて行ったのもこの時期である。広場に屹立する異様な風景を、若者たちは赤テントとか黒テントとか呼んでいた。
また余談だが、キャラバン隊というのがあって、若い者達がテントと共に移動していた。次の公演地に到着すると、見た顔のモノが屯している。彼らは芝居を観るわけでもなく、寝転んでたり、歌を歌っていた。そしていつの間にかテントの回りには200人ぐらいのヒッピー達が群れていた。
僕自身、後で気が付いた事なのだが、第一世代と呼ばれる演劇人達は、多かれ少なかれ新劇教育を受けている者達だったのだ。演出のダメ出しも「とにかく何かやれ」と言ったかと思うと「戯曲から逸脱するな」とか言われたりで、困惑した記憶がある。
あまり知られてないが、唐十郎は稽古場で、エチュードとしてチェイホフをテキストにしてストレートに稽古をしていたらしい。あの甲高い早口で「演劇の基本が出来なければ何やってもだめなんだ」と行っていたそうだ。これは後日、半分笑い話のように元状況劇場の坂本貞美さんから聞いたことである。
現在、小劇場が乱立し、一つの小劇場演劇と言うカテゴリーを作りだしている。僕の知るかつての小劇場とは依拠するものは異なるが、その系譜を大局的に辿れば、今の若い演劇人が見失いがちになるモノに気づくのではないか。
そして、かつての市民会館と新劇との関係がそうであったように、小劇場の空間も表現を規定していき、また制度化されているように僕には思える。それが劇作の世界感や、俳優の表現に顕著に現れている気がして成らない。
大震災と原発事故は、これまで暗黙の了解として成り立っていた物事が露見し、解体されていく現状を嫌でもまざまざと知る事になるだろう。
そして経済の成長神話も終演を迎え、新たな生きる価値を見いださなくてはならないのだろう。
演劇表現は常にその時々の社会情勢と不可分なのである。この未曾有の事態を経験し知ってしまった僕たちは、当然の事だが自分と演劇との関係を考える事になるだろう。しかしこの状況で思考することが表現にとって決してネガティブな事ではないのだから、なんとも表現者とは業の深いモノ達だ。
新劇団の発声方法やミザンセーヌの取り方は、こうしたプロセニアムアーチ(額縁舞台)に対応しながら定着していくわけだが、60年代から始まる小劇場運動とは、制度化された空間から表現を解き放ち、今を突きつける「場」として若い演劇人たちが、知らず知らず築き上げられた制度そのものに挑んでいった演劇運動である。そして様々な演劇的実験が繰り返し試みられた。
俗に言うアングラ演劇(アンダーグランド)とは「自由劇場」が六本木のビルの地下に作った小劇場から日本ではそう呼ばれだした。当初の状況劇場はトラックの荷台を舞台にし、移動しながら上演をしている。天井桟敷は渋谷に粟津潔の設計の小劇場を構えた。一方、早稲田小劇場は早稲田にある喫茶店「モンシェリ」2階を劇場として活動を始める。現在は早稲田大学内の「どらま館」である。
余談だが、僕は渋谷の天井桟敷に足を運ぶことが好きだった。寺山の芝居を観るではなく、劇場近辺をうろつくと、そこには一風変わった若い者達が何となく屯していたからだ。
また、より自由な空間を求め、移動する演劇空間としてテント芝居が生まれて行ったのもこの時期である。広場に屹立する異様な風景を、若者たちは赤テントとか黒テントとか呼んでいた。
また余談だが、キャラバン隊というのがあって、若い者達がテントと共に移動していた。次の公演地に到着すると、見た顔のモノが屯している。彼らは芝居を観るわけでもなく、寝転んでたり、歌を歌っていた。そしていつの間にかテントの回りには200人ぐらいのヒッピー達が群れていた。
僕自身、後で気が付いた事なのだが、第一世代と呼ばれる演劇人達は、多かれ少なかれ新劇教育を受けている者達だったのだ。演出のダメ出しも「とにかく何かやれ」と言ったかと思うと「戯曲から逸脱するな」とか言われたりで、困惑した記憶がある。
あまり知られてないが、唐十郎は稽古場で、エチュードとしてチェイホフをテキストにしてストレートに稽古をしていたらしい。あの甲高い早口で「演劇の基本が出来なければ何やってもだめなんだ」と行っていたそうだ。これは後日、半分笑い話のように元状況劇場の坂本貞美さんから聞いたことである。
現在、小劇場が乱立し、一つの小劇場演劇と言うカテゴリーを作りだしている。僕の知るかつての小劇場とは依拠するものは異なるが、その系譜を大局的に辿れば、今の若い演劇人が見失いがちになるモノに気づくのではないか。
そして、かつての市民会館と新劇との関係がそうであったように、小劇場の空間も表現を規定していき、また制度化されているように僕には思える。それが劇作の世界感や、俳優の表現に顕著に現れている気がして成らない。
大震災と原発事故は、これまで暗黙の了解として成り立っていた物事が露見し、解体されていく現状を嫌でもまざまざと知る事になるだろう。
そして経済の成長神話も終演を迎え、新たな生きる価値を見いださなくてはならないのだろう。
演劇表現は常にその時々の社会情勢と不可分なのである。この未曾有の事態を経験し知ってしまった僕たちは、当然の事だが自分と演劇との関係を考える事になるだろう。しかしこの状況で思考することが表現にとって決してネガティブな事ではないのだから、なんとも表現者とは業の深いモノ達だ。
2011年4月29日金曜日
新井純が歌う「包丁お定のモリタート」
まぼろしの名曲、新井純が歌う「包丁お定のモリタート」
クルト・ワイルのモリタートのメロデーにのせて歌う、「阿部定の犬」の劇中歌。
かなりの貴重品なので門外不出。
Pianoは林光氏の演奏
Pianoは林光氏の演奏
「摘み取られた花の痛み」赤のファウストより
作 ゲーテ 翻訳 柴田翔 作曲 神田晋一郎 歌 森勢ちひろ
ああ 痛み多き聖母さま
恵み深きお心で どうか私の苦しみに
お顔を向けて下さい
誰が知ってくれよう 私の骨身をえぐる この苦しみを?
この哀れな胸の不安 この恐れ この憧れ
それを知って下さるのはただ あなたばかりでございます
聖母さま 恥と死から私をどうかお救い下さい
ああ 痛み多き聖母さま 恵み深き御心で どうか私の苦しみに
お顔を向けて下さい
マルガレーテが母を薬で眠らせ、その夜にファウストと罪を犯し、
「罪へと私を追いやったものはとても素敵でした」
と、呟きながら聖母様に救いを求めて歌う。
赤のファウストより 演出 長谷トオル
2011年4月27日水曜日
罪
「新譚サロメ」より 罪 作詞 島崎藤村 作曲・歌 小田晃生
「罪」
罪なれば物のあはれを
こころなき身にも知るなり
罪なれば酒をふくみて
夢に酔い夢に泣くなり
罪なれば親をも捨てて
世の鞭を忍び負うなり
罪なれば宿を追われて
花園を別れゆくなり
罪なれば刃に伏して
紅き血に流れ去るなり
罪なれば手に手を取りて
死の門にかけり入るなり
罪なれば滅び砕けて
常闇の地獄のなやみ
嗚呼二人抱き焦がれつ
恋の火にもゆるたましい
1998年 ウンプテンプ・カンパニー第5回公演 「新譚サロメ」より 「罪」
戯曲 加蘭京子 演出 長谷トオル 音楽 小田晃生
島崎藤村の詩を用いたこの上演作品は、有名なサロメの物語を、九州の安徳神話が生き付くとある孤島に置き換えました。男と島の娘の適わぬ恋物語なのですが、神話と現実が錯綜した、もう一つの天皇神話として描かれました。
見知らぬ辺境の地で嘘と本当とが微睡む、切なくて烈しい人間の本性としてのエロティシズムを扱ったウンプテンプ・カンパニーの力作です。
2011年4月26日火曜日
いろはうた
作曲・歌 小田晃生 「アンチンキヨヒメ」より
色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならん
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず
1997年 ウンプテンプ・カンパニー第三回公演「アンチンキヨヒメ」より
作・加蘭京子 演出・長谷トオル 音楽小田晃生
この上演作品は 日本中世の道成寺ものの原型となる逸話「安珍と清姫」の話をもとに、物語のモチーフを現代に置きかえ、嘘を付く男と、情欲に駆られて追う女を描いた極めて奥深い耽美的な作品です。
小田晃生のアルバムここから購入できます→ ttp://www.chicchaitanbo.net
2011年4月25日月曜日
蛇身を受けた女達の歌
作曲・歌 小田晃生 作詞 長谷トオル 「アンチンキヨヒメ」より
「蛇身を受けた女達の歌」
天使の羽が ふわりと抜け落ちるように
頬をつたう涙のしずくが
哀しみの 結晶となって 煌めいたなら・・・。
ビー玉のように 膝を抱え込んで
渇いた口から夢を吐く
その時が その時が無限になったら・・・。
束の間が迷路を彷徨い
永遠と瞬間とが
出会ってしまったならば・・・。
出会ってしまったならば・・・。
許されるかもしれない。
小田晃生のアルバムここから購入できます→ ttp://www.chicchaitanbo.net/
2011年4月22日金曜日
ベルナルダ・アルバの家 「本チラシ」です。
「ベルナルダ・アルバの家」本チラシです。
先日、某所で撮影した写真を使ったチラシです。
ウンプテンプ・カンパニーで写真を本チラシで使うのは初めてです。
皆さん、早朝の寒さを感じさせない頑張りようでした。
5月からこのチラシがお目とまるとかと思います。
向かって左から、
坪井美香・成田明加・こいけけいこ・森勢ちひろ・中川安奈・薬師寺尚子・内田晴子・蜂谷眞未・新井純・西郷まどか。
それからチラシの表には居ませんが、Piano演奏 神田晋一郎 Percussion則包桜(ノリカネサクラ)
それからチラシの表には居ませんが、Piano演奏 神田晋一郎 Percussion則包桜(ノリカネサクラ)
撮影は福吉隼人 美術コーディネート、竹本さよ子 レイアウト、長谷トオル
演出と同じ人間が作ったのですから、実際の芝居を感じさせると思います。
とにかく、ベルナルダ・アルバの家は役者の芝居で魅せます。
そして勿論、音楽は生演奏で、役者の芝居に絡んでいきます。
それが僕の中で一貫した作品に対する態度であり、演出方針なのです。
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