2013年4月21日日曜日

5月公演「メメント・モリ」

次回5月公演「メメント・モリ」


さて、こんな贅沢な芝居を上演するとは思っても見ませんでした。
出演者もさることながら、ふんだんに飛び出す楽曲の数々、
衣装の絢爛さ、懲りに凝った舞台と照明、
それにも増して間近で見られる荒唐無稽な物語。

商業的な演劇では決して真似の出来ない、アンサンブルでゴシック調のお芝居をお見せします。 乞う御期待!!

このお芝居の冒頭は、マドリガル風の歌で始まります。


~序曲~

これよりご覧頂く物語  奇想天外 空と大地がひっくり返り、
夜明けというのに陽が沈む。 雄鳥、戸惑い啼き続け、雌鳥ふててって卵も産まぬ。
遺跡や名跡、数々あれど、雨に打たれて瓦礫に変わり 風に吹かれて日差し照り付き草木は茂る。


お偉い奴らはお骨になっても宝石身に付け名を残し、 名もない骨など見むきもされず、瓦礫と一緒に捨てられる。
墓を掘り起せ せっせと掘り起こしては篩いに掛けろ。 その時、壁が崩れて、溢れ出た。赤銅色の髪が溢れ出た。
しゃれこうべから、乱れて伸びて、奇跡を起こす。
伸びた髪の毛 ざっと計って二十二メートル。


ウェディングベールのように髪を垂らした少女が一人。
狂った犬に咬まれて少女が吠えて。
娘に焦がれた神父が狂う。
汚物まみれの独房で、二人が交わす蜜の味。
ホントのような嘘など通りの角を曲がればどこにもあるが、 嘘のようなホントにゃ滅多にお目にはかかれぬ。


月日はもどり遡り、二百年前へと巻き戻る。
ガレオン船の帆を縫えば、海の向こうのグラナダへ。
赤や黄色の旗なびかせて、ヌエバ・グラナダへ。
黒人奴隷が売り買いされて、白人貴族は馬車に乗る。
風が熱く駆け抜け日陰で吐息が漏れる。
ここはサンタ・クララ女子修道院。

2012年8月4日土曜日

秋のウンプテンプ・カンパニー


秋に上演する「新譚サロメ」の出演者達。

この作品は5年前に上演したモノですが、この度大幅に改訂しての再上演になります。この間にゲーテのファーストやガルシア・ロルカのテキストに挑む事で、自らもテキストに対しての要求が高くなったと言う事なのでしょう。それから俳優や僕も年を重ね、より密度の高い作品作りに挑みたくなりました。とはいうモノの瑞々しく突き上げてくる感情は失いたくないと足掻いています。新しいメンバー構成での上演ですので全く違った作品に仕立て上げていきます。

2012年4月17日火曜日

「春を忘るな」無事全日程を終えることが出来ました。

ウンプテンプ・カンパニー第11回公演「春を忘れるな」は幕を閉じました。

「春を忘るな」へ感想をくれた方々には感謝です。

当然一様の感想では無いですが、概ね賛否両方の感じ方は理解出来ます。いや分かりすぎると言った方が正解かも知れません。

正直もう少し妄想が肥大した、感想も頂きたかったのですが、そこら辺が作り手側の課題だと思い、声に成らない声に耳を傾けよう。




多大な尽力をお貸し下さった、大勢の方々にこの場で有難うと言いたい。

次回公演は社会情勢を鑑みながら決定したいと思っています。
とにかく年内には上演したいと考えていますので、その時は直ぐに告知いたしますので、益々のご贔屓をお願いします。

2012年3月1日木曜日

次回公演のご案内



「春を忘るな」

物語は、梅の花が開いたそのときに、二人の女が鎌倉の山荘へ、

とある青年を訪ねていったことから始めましょう。

青年はただただ梅の初花の前で鴬を待っていました。その青年の名は知実。

かつて製糸会社の若社長で、二人の女と関係があったもよう。

一人の女は知実が愛人にしていた女工で、今はカフェの女給をしている女、依子。

もう一人の女は知実の元婚約者であり、かつての面影を失った女、雪枝。

二人の女は、記憶を無くした知実をかいがいしく支える奇妙な女、梅に出迎えられます。

皆で揃い、思い出話をするうちに、記憶が花開き、昭和の御代が色づきます。

いつしか過ぎし日の出来事と鎌倉の地で非業の死を遂げた魂、源実朝

(鎌倉幕府の開祖、源頼朝の息子)の歌と混じり合い、あわれのほかには言葉が見つからない一夜の

幻に変わり、露と消えてゆきました。

実に、摩訶不思議な幻想奇談であります。



作・加蘭京子 演出・長谷トオル 音楽・神田晋一郎

劇場:絵空箱(最寄駅:江戸川橋徒歩2分)

竹組→ 鈴木太一 薬師寺尚子 水野さやか 西郷まどか 
松組→ 成田明加 園田綾香   森勢ちひろ  長尾稔彦

4月
 9(月)14時~竹 20時~松
10(火)14時~松 20時~竹
11(水)14時~竹 20時~松
12(木)14時~松 20時~竹
13(金)14時~竹 20時~松
14(土)      OFF
15(日)15時~松 18時~竹
16(月)14時~竹 20時~松

前売 2500円(ワンドリンク付き)
当日 3000円(ワンドリンク付き)
竹・松セット 4000円(2ドリンク付き)



「春を忘るな」 (ウンプテンプ・カンパニー) の感想・チケット・詳細情報なら演劇ライフ

2011年9月9日金曜日

「ベルナルダ・アルバの家」無事に終えることが出来ました。

今回は演劇を取り巻く情勢と、社会の大きな変動の時に向って、芝居を作り上演してきました。

標榜したのは「多世代演劇」と、「虚飾を廃する演出」上記した事への僕なりの挑み方でした。


まだまだ、やろうとしている事が完成されたとは、微塵も思っていません、寧ろ後悔の方が勝るっているほどですが、今の全力を傾けられたことには自身を持ってやったと言えます。

今回は優秀なスタッフたちや、女優たちのアンサンブルの妙で成功したと言える公演でした。余計な演出をしなかったのも良かったと思っています。

多くの観客からの反応と、予想を上回るほど期待感を持って芝居を観てくれたことへは、感謝の念に堪えません。

そして、趣旨に賛同して応援してくれた大勢の方々へありがとうと言いたい。

2011年8月28日日曜日

「暗い恋の秘密の声よ」


ウンプテンプ・カンパニー第八回公演 「血の婚礼」より




「暗い恋の秘密の声よ」


婚礼の宴の夜に花嫁とかつての恋人、レオナルドが逃げ出した。後を追う新郎、と新婦の一族。皆を奮い立たせる新郎の母親(新井純)の芝居は必見

キャスト
新井純 坂元貞美 石井ひとみ 吉沢 惠(ダンサー) 木村準 手塚謹弥 蜂谷 眞未 桑原 なお 地曳 宏之 谷修 薬師寺尚子 成田明加 西郷まどか 森勢ちひろ 姫宮みちり

台本・構成・演出:長谷トオル
振り付け:伊藤多恵 (ダンスシアター他動式主宰)

舞台美術:蟹江 杏 

作曲:神田晋一郎 (音楽美学主宰)  演出助手:中村昌利

照明:島田雄峰 (LST) 音響:長山雄作 衣装:竹本さよ子 佐々木麻衣 吉田奈央

舞台監督:高居長広  舞台監督助手:下谷高之 パンフレット編集:加蘭京子 宣伝美術:長谷 透 チラシ絵:川越良昭  チラシ写真:今井宏美

2011年8月7日日曜日

稽古場見学歓迎します。

「ベルナルダ・アルバの家」の稽古場は、出来る限り開いていきたいと思っています。

見学は8/15から行います。日時などがあれば是非稽古場へお越し下さい。

普段通りの稽古風景ですのでお構いは出来ませんが、
お気軽にお越し下さい。

稽古場所は板橋区の西台集会室で行っております。
池袋から東上線、東武練馬駅下車徒歩12分
地図 http://www.machi-info.jp/machikado/itabashi_city/index.jsp?mode=2

来られる日が分かりましたら、事前にメールでお知らせ下さい。

場所が分かりづらいですが、西台四丁目アパートの奥の一角にあります。

万が一の時は電話をして下さい。

メール sakana3@gmail.com
TEL 070-6650-2606 ウンプテンプ・カンパニー製作部

尚、稽古は午後2時からですが、少し余裕を見て早めに来て頂ければ幸いです。



 「ベルナルダ・アルバの家」一同
 
 
 
 

2011年7月31日日曜日

人知れぬ死のガゼーラ「血の婚礼」より

「血の婚礼」より ロルカ作詞 人知れぬ死のガゼーラ 作曲 神田晋一郎

振り付け 伊藤多恵 構成・演出 長谷トオル 美術 蟹江杏

演奏Piano 神田晋一郎 Contrabass 河崎純 Violin 外村京子

歌=新井 純  ダンス=吉沢 恵




前作の「血の婚礼」では、大地に注ぐ陽光の日射しと陰に拘り、ふんだんにロルカの詩に曲付け構成しました。

今回の「ベルナルダ・アルバの家」では、閉ざされた屋敷の中で繰り広げられる世界なので、全くアプローチの方法を変えました。

演出的な見せ方を極力廃していく事にチャレンジしています。

2011年7月2日土曜日

劇団性の崩壊と、ベルリンの壁の崩壊、そしてバブル景気の崩壊 (雑文)

 
89年にベルリンの壁が崩壊し、90年代を迎えソ連が崩壊していく。
若いインテリ演劇人であれば当然知っている歴史である。

その頃、日本ではバブル景気真っ直中だったが、ソ連崩壊直後バブルもはじけ飛んだ。
今、何故こんな事を書いているかというと、今の日本の演劇(社会)の変質が、この時の東西冷戦の終結と、バブル景気の崩壊とイデオロギー闘争の消滅によって、現実社会そして演劇人に強く影響して行ったのだと思えるからだ。
その頃、僕は32才ぐらいだったと思う、演劇などやっていると、将来の不安はつのるばかりで、息をするのも苦しくなってくる。(それは今も変わりはしないだろう)幸か不幸か僕のような演劇人にはバブルの恩恵などほとんど無かった。

そして幸いにも、僕が演劇をする事に反対し続けてくれた、父が亡くなり僅かばかりかの遺産が舞い込んだ。「これで三年は芝居に集中して出来るぞ」そう思うと途端に息が清々しだした。お終いに息子思いの父のありがたみを知った。

当時、一緒に芝居をしてた同じ年の奴が芝居を止め不動産業に付いた。
その後も奴は良く、かつての劇団の芝居を観に来てくれて、僕を終演後小じゃれたバーに飲みに連れて行ってくれた。

歌が下手なくせに、いつ覚えたか奴はマイクを手にして、聞いてられない流行の曲をカラオケで歌う。
そして真顔で財布を取り出し「俺のような者でも財布が立つようになるのがバブルなんだ」そう言ってカウンターに分厚い財布を立てバブルのなんぞやを説明してくれた。
僕はただ黙って眺めていた、そんな戦友であった友人を憐れにすら感じた。

「お前はがんばれよ」そう言って、別れ際にタクシー代にと言って、奴は申し訳なさそうに1万円を手渡してくれた。僕は当たり前のように受け取り、意気揚々と明日の本番に備えて電車で帰宅したのを覚えている。

ベルリンの壁の崩壊光景を映し出すニュースに胸を躍らせ、変わるだろうこれからの事の期待感を強く抱き、ソ連連邦は消え失せた。そしてバブル景気は急激にはじけ飛ぶ。これが90年代に誰もが影響を与え、何らかの記憶が蘇ってしまう、出来事なのだ。

プロデュース形式の芝居が頻繁に企画されるのがこの辺りからで、劇団を率いていた演出家が一本釣りされていく。そして残された劇団は役者のプールのようになり、プロディースされた演出家の芝居に出して貰うのだが、メイン所は客を呼べるバリューのある役者が担う。劇団自体の公演は日増しに減り出し、劇団員は所属している意味を考えは初め辞めていく。これは今でも変わらない構図だろう。

そして演出家は公共ホールの芸術監督へ就任したり、行政や大学の席へとパラサイトを始める。俳優の一部はマスコミへと仕事の場を移していく。

当時、何人かの他劇団の役者に相談をされた経験があるが、こればっかりは何とも上手く答えてあげられなかった。「悩んでるんだったら辞めちまえ」と言い放つしかなかったのを覚えている。

それまでは商業的な演劇と劇団固有の演劇とははっきり一線を引いてたのだが、90年台に入り次第に、その一線が溶解していくように崩れ去っていく。
今は皆が当たり前のように受け入れているだろうが、当時はいい訳を言いながら自ら一線を越えていった。

名古屋は大須にある「七ツ寺共同スタジオ」のいつも穏やかな二村氏は、強い口調で「あいつら、きちんと総括をしろ、みんなを巻き込むだけ巻き込んで」と行き場のない怒りにも似た言葉を放っていた。

彼らの一種の贖罪なのだろうか?文化庁の助成金制度と事は魑魅魍魎となり、助成を受ける既存の劇団は半ば固定され、団員たちはチケットを売らなくなってくる。
この時期、95年に平田オリザの「東京ノート」が岸田戯曲賞を受賞し、青年団は精力的に活動をしだしていく。

時代の変遷と日本の劇団性の崩壊をかいつまんで改めて思い出してみた。
そして2000年に入った辺りから、演劇ユニットの乱立し出し、そして今の理念なき小劇場ブームが始まるのである。その弊害については今は敢えて語らない事にしよう。


大事な事を言うならば、今また新たな大きな崩壊が起こっていると言うことである。

 
 
   
 

2011年7月1日金曜日

演劇を開くー(雑文)

 

僕は芝居を作るときその集団性に拘る。そして僕の拘る集団性というのは一方向のベクトルを持つ一枚岩の集団ではなく、社会の雛形としての集団である。各々が多様な在り方を保管しうるそんな集団なのだ。

大仰な言い方をすれば、作品を創るだけであれば三日もあれば事足りる。ところがどっこい僕には最低でも50日間余りは稽古時間が必要なのである。それは作品を創るための稽古と言うより、集団作りのための稽古と思っている。

俳優が、自分と作品との抜き差しならない関係に辿り着くためには、エイヤーとかけ声勇ましい意気込みだけではとうてい出会えない、己の奥底に潜む内なるモノと作品の何かとが触れ合って初めて「自分の芝居」と実感できるのだと思っている。

演出もその一人でありたい。そう思い通りに、急かして見つけられる類のものではなく、皆が集う場が次第に熟成して、一人一人がそれぞれ辿り付いて行くのだと思っている。そして、その為に演劇自体に内在する方法が有効なのであり。作品は結果生まれていくのだと思う。そこには経験の差も巧みさも関係なく、まずは初心に帰る技術のみが必要なのだ。

そうした主体的な個が揃った時、集団は創造集団となりダイナミズムを生み出し、演劇は演劇の枠を超え、オリジナルな総合芸術となっていくと考える。僕はそれを「劇的なる力」と呼ぶ。常に集団とはバラバラな個人の集まりから始まり出すのであり、そうして生まれた作品は社会の雛形である観客席に対するに値したものになる。そして集団は解体しまた集合し、これを繰り返していくのであろう。

欲を言えば劇場の壁をも突き抜け、まだ見ぬ観客へと向かっていきたい。いつの間にか「効率」と言うものが、背に腹は代えられないのか舞台芸術の世界にも専権して表現行為の不可思議な「制度化」が進んでいる事に危機感すら感じざるを得ない。

例え独りになっても僕は抗い続けるだろう。
類が友を呼ぶまで。

   

2011年6月11日土曜日

「俳優のための声のワークショップ」の記録 (ここをクリックして下さい)

先日行われた「俳優のための声のワークショップ」の詳細な記録を公開します。



この企画は今の演劇が抱える課題を、具体的な形で浮かび上がらせ、再認識する事を主眼とし、新井純がワークショップ形式で進行しました。この場で何をして、また何が語られあったのか、出来る限りオープンにしたいと思っています。加蘭京子が必死にスクリプトしたモノをまとめましたので、正式なワークショップの記録として公開いたします。

PDFファイル http://t.co/XnjF7sn

2011年6月3日金曜日

2011年6月1日水曜日

ベルナルダ・アルバの家

「ベルナルダ・アルバの家」 前売り開始。

ガルシア・ロルカ 作  長谷トオル 演出

シアターΧ提携公演  後援:在日スペイン大使館


【あらすじ】
川のない、井戸水を頼りにする閉鎖的な村。
その村で家柄を誇る「ベルナルダ・アルバの家」に起きた出来事。
女主人ベルナルダは夫の死後、五人の娘たちに、八年間の喪に服する事を言い渡す。
その間、外出やおしゃれは許されない。
そんななか、長女に縁談が降ってわいた。
長女アングスティアスだけには莫大な遺産が相続されるのだ。
夜ごと長女の部屋を訪れる若い男(ぺぺ)の存在に色めきだつ姉妹たち。
なかでも末娘のアデーラはぺぺと逢瀬を繰り返し、
陶酔と絶望を受け入れていくようになる。
そんな二人を羨望の眼差しで見つめる四女マルティリオの執拗な嫉妬。
やがて逃れられない悲劇がベルナルダの一家を襲う。


【出演】
 
新井 純(フリー)  中川安奈(岡村本舗)  坪井美香(フリー) 内田晴子(スターダス21) こいけけいこ(太田プロ・リュウ.)  蜂谷眞未 薬師寺尚子 成田明加 森勢ちひろ 西郷まどか


【演奏】 神田 晋一郎(Piano)  則包桜(Percussion)

【期間】9/1~9/4  全席指定  【料金】前売り 4000円  学割3000円

台本・演出:長谷 トオル/台本協力:加蘭京子/作曲:神田 晋一郎/美術:荒田良/照明:谷川裕俊/ 衣装:竹本 さよ子/ 宣伝美術:長谷トオル/パンフレット編集:加蘭京子/ 照明操作:望月肇/スチール撮影:中道翔子/チラシ写真:福吉隼人/ 舞台監督:中村眞/制作:「ベルナルダ・アルバの家」制作委員会+中村昌利/ 制作助手:池田未優/企画:ウンプテンプ・カンパニー/ 後援:スペイン大使館


2011年5月7日土曜日

演劇のための演劇からの脱却

箱(劇場)の形が、表現の幅を規定していく。かつて労演運動と高度成長期の箱物行政が重なり、各地にプロセニアムアーチを持つ、雛形の1000人規模の市民会館が乱立して行った。僕の父も大手ゼネコンの現場監督していたので、当時の劇場マニュアルと図面にブツブツ言いながら格闘している光景を思い出す。



新劇団の発声方法やミザンセーヌの取り方は、こうしたプロセニアムアーチ(額縁舞台)に対応しながら定着していくわけだが、60年代から始まる小劇場運動とは、制度化された空間から表現を解き放ち、今を突きつける「場」として若い演劇人たちが、知らず知らず築き上げられた制度そのものに挑んでいった演劇運動である。そして様々な演劇的実験が繰り返し試みられた。


俗に言うアングラ演劇(アンダーグランド)とは「自由劇場」が六本木のビルの地下に作った小劇場から日本ではそう呼ばれだした。当初の状況劇場はトラックの荷台を舞台にし、移動しながら上演をしている。天井桟敷は渋谷に粟津潔の設計の小劇場を構えた。一方、早稲田小劇場は早稲田にある喫茶店「モンシェリ」2階を劇場として活動を始める。現在は早稲田大学内の「どらま館」である。

余談だが、僕は渋谷の天井桟敷に足を運ぶことが好きだった。寺山の芝居を観るではなく、劇場近辺をうろつくと、そこには一風変わった若い者達が何となく屯していたからだ。


また、より自由な空間を求め、移動する演劇空間としてテント芝居が生まれて行ったのもこの時期である。広場に屹立する異様な風景を、若者たちは赤テントとか黒テントとか呼んでいた。

また余談だが、キャラバン隊というのがあって、若い者達がテントと共に移動していた。次の公演地に到着すると、見た顔のモノが屯している。彼らは芝居を観るわけでもなく、寝転んでたり、歌を歌っていた。そしていつの間にかテントの回りには200人ぐらいのヒッピー達が群れていた。


僕自身、後で気が付いた事なのだが、第一世代と呼ばれる演劇人達は、多かれ少なかれ新劇教育を受けている者達だったのだ。演出のダメ出しも「とにかく何かやれ」と言ったかと思うと「戯曲から逸脱するな」とか言われたりで、困惑した記憶がある。


あまり知られてないが、唐十郎は稽古場で、エチュードとしてチェイホフをテキストにしてストレートに稽古をしていたらしい。あの甲高い早口で「演劇の基本が出来なければ何やってもだめなんだ」と行っていたそうだ。これは後日、半分笑い話のように元状況劇場の坂本貞美さんから聞いたことである。



現在、小劇場が乱立し、一つの小劇場演劇と言うカテゴリーを作りだしている。僕の知るかつての小劇場とは依拠するものは異なるが、その系譜を大局的に辿れば、今の若い演劇人が見失いがちになるモノに気づくのではないか。

そして、かつての市民会館と新劇との関係がそうであったように、小劇場の空間も表現を規定していき、また制度化されているように僕には思える。それが劇作の世界感や、俳優の表現に顕著に現れている気がして成らない。



大震災と原発事故は、これまで暗黙の了解として成り立っていた物事が露見し、解体されていく現状を嫌でもまざまざと知る事になるだろう。
そして経済の成長神話も終演を迎え、新たな生きる価値を見いださなくてはならないのだろう。


演劇表現は常にその時々の社会情勢と不可分なのである。この未曾有の事態を経験し知ってしまった僕たちは、当然の事だが自分と演劇との関係を考える事になるだろう。しかしこの状況で思考することが表現にとって決してネガティブな事ではないのだから、なんとも表現者とは業の深いモノ達だ。

2011年4月29日金曜日

新井純が歌う「包丁お定のモリタート」


まぼろしの名曲、新井純が歌う「包丁お定のモリタート」

クルト・ワイルのモリタートのメロデーにのせて歌う、「阿部定の犬」の劇中歌。

かなりの貴重品なので門外不出。

Pianoは林光氏の演奏

「摘み取られた花の痛み」赤のファウストより


作 ゲーテ  翻訳 柴田翔  作曲 神田晋一郎  歌 森勢ちひろ




ああ 痛み多き聖母さま  

  恵み深きお心で どうか私の苦しみに 

お顔を向けて下さい

誰が知ってくれよう 私の骨身をえぐる この苦しみを?

この哀れな胸の不安 この恐れ この憧れ

それを知って下さるのはただ あなたばかりでございます

聖母さま 恥と死から私をどうかお救い下さい

ああ 痛み多き聖母さま 恵み深き御心で どうか私の苦しみに

お顔を向けて下さい
 
 
 
 
マルガレーテが母を薬で眠らせ、その夜にファウストと罪を犯し、
「罪へと私を追いやったものはとても素敵でした」
と、呟きながら聖母様に救いを求めて歌う。
 
 
赤のファウストより    演出 長谷トオル
 
 
 

2011年4月27日水曜日


「新譚サロメ」より 罪 作詞 島崎藤村 作曲・歌 小田晃生 



「罪」


罪なれば物のあはれを

こころなき身にも知るなり

罪なれば酒をふくみて

夢に酔い夢に泣くなり


罪なれば親をも捨てて

世の鞭を忍び負うなり

罪なれば宿を追われて

花園を別れゆくなり


罪なれば刃に伏して

紅き血に流れ去るなり

罪なれば手に手を取りて

死の門にかけり入るなり


罪なれば滅び砕けて

常闇の地獄のなやみ

嗚呼二人抱き焦がれつ

恋の火にもゆるたましい
 

 
 
1998年 ウンプテンプ・カンパニー第5回公演 「新譚サロメ」より 「罪」
 
戯曲 加蘭京子 演出 長谷トオル 音楽 小田晃生
 
 
 
島崎藤村の詩を用いたこの上演作品は、有名なサロメの物語を、九州の安徳神話が生き付くとある孤島に置き換えました。男と島の娘の適わぬ恋物語なのですが、神話と現実が錯綜した、もう一つの天皇神話として描かれました。
見知らぬ辺境の地で嘘と本当とが微睡む、切なくて烈しい人間の本性としてのエロティシズムを扱ったウンプテンプ・カンパニーの力作です。


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2011年4月26日火曜日

いろはうた



作曲・歌 小田晃生 「アンチンキヨヒメ」より



色は匂へど  散りぬるを


我が世誰ぞ  常ならん


有為の奥山  今日越えて


浅き夢見じ  酔ひもせず
 
 
 

1997年 ウンプテンプ・カンパニー第三回公演「アンチンキヨヒメ」より
作・加蘭京子  演出・長谷トオル  音楽小田晃生 


この上演作品は 日本中世の道成寺ものの原型となる逸話「安珍と清姫」の話をもとに、物語のモチーフを現代に置きかえ、嘘を付く男と、情欲に駆られて追う女を描いた極めて奥深い耽美的な作品です。


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2011年4月25日月曜日

蛇身を受けた女達の歌


作曲・歌 小田晃生  作詞 長谷トオル 「アンチンキヨヒメ」より

 

「蛇身を受けた女達の歌」



天使の羽が ふわりと抜け落ちるように

頬をつたう涙のしずくが

哀しみの 結晶となって 煌めいたなら・・・。



ビー玉のように 膝を抱え込んで

渇いた口から夢を吐く

その時が その時が無限になったら・・・。



 束の間が迷路を彷徨い
 
永遠と瞬間とが

出会ってしまったならば・・・。


許されるかもしれない。

 


 
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2011年4月22日金曜日

ベルナルダ・アルバの家 「本チラシ」です。


「ベルナルダ・アルバの家」本チラシです。

先日、某所で撮影した写真を使ったチラシです。
ウンプテンプ・カンパニーで写真を本チラシで使うのは初めてです。

皆さん、早朝の寒さを感じさせない頑張りようでした。

5月からこのチラシがお目とまるとかと思います。


向かって左から、
坪井美香・成田明加・こいけけいこ・森勢ちひろ・中川安奈・薬師寺尚子・内田晴子・蜂谷眞未・新井純・西郷まどか。

それからチラシの表には居ませんが、Piano演奏 神田晋一郎 Percussion則包桜(ノリカネサクラ)

 
撮影は福吉隼人 美術コーディネート、竹本さよ子  レイアウト、長谷トオル


演出と同じ人間が作ったのですから、実際の芝居を感じさせると思います。


とにかく、ベルナルダ・アルバの家は役者の芝居で魅せます。
そして勿論、音楽は生演奏で、役者の芝居に絡んでいきます。
それが僕の中で一貫した作品に対する態度であり、演出方針なのです。




  

2011年4月11日月曜日

「恐るべき子供たち」より ーおお、子供っぽい連中よー


「恐るべき子供たち」から ジャン・コクトー原作  台本 加蘭京子 


ーおお、子供っぽい連中よー

ボードレール作 「悪の華」より  音楽 小田晃生+野村卓史   訳詞 加蘭京子 









おお 子供っぽい連中よ


一番大事な事柄を 忘れないように 言うならば

 
俺達は あらゆるところで

 
見たくもない 宿命の梯子段の
 
てっぺんから真下まで

 


一面に広がる 永遠不滅の罪業の

 
退屈きわまる光景を 見たのであった





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1995年度   ウンプテンプ・カンパニー第一回公演   演出 長谷トオル

 






「牡丹江非恋歌」から ーうつろごころー

  
「うつろごころ」 


佐藤春夫 作詞  神田晋一郎 作曲









 
せつなき恋をするゆゑに



月かげさむく身にぞ沁む



もののあはれを知るゆゑに


 
水のひかりぞなげかるる。





身をうたかたとおもふとも


 
うたかたならじわが思ひ



げにいやしかるわれながら


 
うれひは清し 君ゆゑに
 
 
 
 
 
 
神田晋一郎さんの歌付きのデモ版(貴重品)





僕のお気に入りの曲の一つですから、このブログだけでしか聞けません。

演出をしている最中も、聞く度に胸が熱くなってしまう、悔しいほど良い詩と曲です。

恋しい人がいる人や、かつて狂おしく人を好きになった方、また恋をしたい方、必聴です。

本番ではウンプテンプ・カンパニーの森勢ちひろが熱唱したのですが、神田晋一郎さんの男が歌うのも切なくて素敵です。
 






「記憶の海」 ー恐るべき子供たちよりー

 
「記憶の海」         作曲・歌 小田晃生   作詞 加蘭京子







記憶の海はわたしのことを

わけもなく怯えさせます


かつては思い出をビー玉みたいに

小さく丸めて抱えていました



通り過ぎた時間の

みずみずしい部分が乾燥し

荒れ果ててゆくのを 嘆きながらも

その中に留まろうとして



幻はあらゆる形をとり

終いには観覧車の姿に変わり


消えていきました……。
 
 
小田晃生のアルバムここから購入できます→ ttp://www.chicchaitanbo.net/



 
6年前 王子小劇場で上演したウンプテンプ・カンパニー 第一回公演
「恐るべき子供たち」からの一曲です。
原作 ジャン・コクトー 台本 加蘭京子 演出 長谷トオル 
 
みんな若かった。
 

「世界の果てで」牡丹江非恋歌の終曲

 
「世界の果てで」      神田晋一郎さんの歌付きのデモ版(貴重品)






あたしや

あたしが知るこの世界の

あるいは世界の果てにあるもの全てが

変わらない ありありとした法則に従っているのなら…



人は歩く意志を失えばその場にしゃがみ 熟れきった果実は大地に落ちて

飛ぶのに疲れた小鳥は梢にとまり 鯨はお腹が空くと水へと潜りだす



そして放たれた銃弾は 誰彼かかまわず体を貫き

生きる物は 苦しみの声を上げ崩れ落ちる



だれもが 不可思議な現実と共にあり 

だれもが まさかの光景を目にするたびに 

粟立つ反応と 苦い想いが沸き起こる

そう、どんなに痛い想いも 抗えきれずに沸き起こる



呟き声は耳に深く染み入り キイキイ声は耳を覆わせ

怒りの罵声は子犬を怯えさせる

喜びは喜びと共鳴しあい 悲しみは悲しみと連なりだす

そして嘆きの声は言葉を載せてどこかでしゃべり出す

  

風運ぶ 想いを乗せて空高く 遠くのどこかの 知らないどこかへ

水流れ 波打ちうねり いつしか流れ去り また流れ来る 
 
 
 
                   作曲 神田晋一郎  作詞 長谷トオル
 
                       

2011年3月15日火曜日

モアのテーマ

前にも書いたが、僕の仙台での生活には沢山の思い出が残っている。

僕は近所の悪ガキのひとりだった。毎日学校が終わると意味なく集まって遊んだ。良くこれでもかという風に遊びが思いついたものだ。

悪ガキ仲間のひとりに父親のいない子(T君)がいて、母親の実家で暮らしていたのだが、母親が再婚して子供を置いて家を離れた。
どうやら、母親は多賀城という自転車で30分ぐらいの所に住んでいるとT君いつは言っていた。
「もうすこししたら母さんが迎えに来てくれるから、僕もそこで一緒に暮らすようになる」と静かに言っていた。

僕はT君の母親が住む多賀城に、二人で自転車をこいで行ったことがある。
でも、母親がどこに住んでいるか結局分からず引き返した。いつの間にか寡黙になったそいつは悲しいのだと思った。

その時だったと思う。
街道沿いの電柱にヤコペッティ監督の「世界残酷物語」の映画のポスターが張ってあり、想像を膨らました僕ははしゃいで色々なエグイ話をT君にした記憶がある。

一年後くらいか、T君は引き取られて多賀城に母親と共に暮らすようになった。将棋が強くて、僕より足が速かった。

その後、モアのテーマを聞く度に、あの子供時代の一コマが頭を過ぎる。

晩年、「世界残酷物語」を観るたら、残酷なのは人間だと言うメーセージ性の強い映画だった。綺麗な旋律の「モアのテーマ」が無常観を感じさせる。

僕の多賀城の記憶である。

今だから、曖昧かも知れぬが記憶には留めておこう。


 

2011年3月14日月曜日

あそこには海の劇場があった。

 
どのくらい前になるのだろう。

宮城県の気仙沼の唐桑町という所で、臨海劇場と銘打った町をあげてのイベントに参加した時の事を思い出してしまう。


僕は地元の有志たちに呼ばれたて、勇んで仲間たちと即興劇づくりのワークショップを作りに唐桑に行った。

臨海劇場とは、唐桑町の大きめの入り江に、竹を組んだ骨組みに船乗りたちからかき集めた大漁旗で覆った、海沿いに立ち上げた仮設劇場の事だ。

演目は、地元の人たちが演じる取材劇、そしてスターリンの遠藤ミチオのパンクロック、岡林信康が大人っぽく歌い、北方舞踏派系のアルタイ派と名乗る舞踏家たちが筏に乗って踊りながら海の向こうから現れる。

今でもはっきりと脳裏を横切る。
髪を逆立てている、遠藤ミチオの仙台からやって来た追っかけたちが、漁村ののどかな風情とは場違いな風に堰堤をうろうろしている。
暗黒舞踏の異形な風体の若者たちは、何故か風景に溶け込んでいたのが妙に気になった。


毎日、集会所に寸劇作りのために集まるのだが、参加している地元の奴らは時間通りにはまず来ない。ましてや途中で帰ってしまったりで、僕は業を煮やして実行委員会の人に「これじゃあ俺たちが何のために来たのか分からない」そう言って東京に引き上げようとした。

その翌朝の早朝のことだ。
宿舎で寝ていた僕の寝床の回りに実行委員会の何人かのメンバーが土下座して居るじゃないか、そして委員長が「頼む、分かってくれ!俺たちには俺たちの生活のリズムがあるんだ」うる覚えだが、そのような事を言って深々と頭を下げられた。
何せ寝込みを襲われ、半ば強引に引き留められ、再び芝居作りのワークショップは続けられた。


そして彼らは大漁旗で覆われた海の劇場で、巧みに観衆の笑いを取りながら演じる事を楽しんでいた。
その後、唐桑臨海劇場は数年続けて開かれた。




唐桑という場所は、気仙沼の北側に突き出たリアス式の半島で、マグロ遠洋漁業の漁師たちが大勢住むマグロ漁の基地のような所で、沢山の入り江ごとにある集落で出来た町だ。
猟師たちは遠洋へマグロを追って家には半年は帰ってこないので、男たちは普段は極めて少ない。


半島の小高い山頂の少し開けた所に小さな祠があり、そこからは気仙沼湾が一望できる場所がある。
そこは旦那が遠洋に漁に出かけるのを、女たちが見送る所なのだ。
そして男が乗る漁船は湾内を一周して、どこか遠くの海へと船出して行くそうだ。
船が見えなくなるまで見送ると、残された女たちは祠に無事を祈るのが習わしだと聞いた。


彼らの土地に根ざそうとする生き方、そこから生まれる矛盾など、未だに僕にはとうてい理解できない。彼らも僕のように演劇なんかに拘る生き方はまず理解できまい。
ただ、一夜の祭りのために必要としあった事だけは確かであり、そこで繰り広げられた芝居は、確かに観客と一つになり熱気を放っていた。
そして僕に演劇は一つだけではない事を教えてくれた。


いつの間にか僕も少しは大人になった、「もう帰る」など駄々は捏ねないだろう。
そう、いつの間にか時は過ぎる。
どんなに辛い時も、楽しい時すら移りすぎて行くようだ。



山伝いに火送りで、入り江に停泊している漁船に合図を送ると、波間に揺れる漁船は、打ち合わせ通り本ベル代わりに一斉に汽笛を鳴らす。

照明が灯る。入り江の水面は水鏡となり、海に面した土塀をゆらゆらと、幻想的に浮かび上がらせている。

鳴り物を鳴らし子供たちを先頭に、少し照れた地元の出演者たちが行進しながら、色鮮やかな大漁旗の劇場に入場して行く。

座布団持参の観客の甲高いしわがれ声がわき上がる。

さあ、始まりだ!

2011年3月12日土曜日

大津波。

僕が育ったのが仙台なので、海の方には良く遊びに行った。
よく知った今回の被災地の惨状には言葉を失う。
そして一緒に遊んだ奴らは気丈夫でいるだろうか?


それから、三陸沿岸は入り組んだ入り江ごとに集落があり、今だ報道されていない惨状を想像するに余りある。

頑張ってくれ。

2011年3月9日水曜日

「裁き手は世界を焼き尽くさん」の動画をUPします。

最早、他劇団の舞台すら演出的に観てしまう癖はしょうがないと思っている。芝居の楽しみ方が、どんどん薄れていくのは僕だけなのだろうか?

客席に座ると上を見て、まず照明スポットの数と吊り方をチェックしている自分がいる。一番呆れるのは面白い場面では、回りの観客の表情を観察している。こりゃあ最悪の観客だろう。

作り手が力を入れ、芝居の見せ場としている箇所は、概ね灯体の光量が劇中、最大だったりする。

自分が演出する時もその傾向になる。明かりを作る段階で全てのフェーダーがフルゲージになって行く。

今回、UPしている赤のファウストの「裁き手は世界を焼き尽くさん」の場面が、その典型だろう。
無謀を承知での、4部合唱に役者がチャレンジして稽古姿を知っている者としては、つい力が入ってしまう。


この場面は、マルガレーテが逃れられない罪の呵責から、黙示録的世界に押しつぶされ自己崩壊をする中で、幻影たちに唱われている曲だ。

ウンプテンプ・カンパニーの芝居では、「罪」と言う意識をモチーフにする事が多々あるが、ゲーテのファウストではこれでもかと言うほど、くっきりと描かれている。
もしかしたら、逃れられない罪の意識が僕の中に巣くっていて、普段は顕在化していないだけかも知れない。


作曲・演奏は神田晋一郎、訳は柴田翔氏 赤のファーストより「裁き手は世界を焼き尽くさん」



唱うは「赤のファウスト」、オールキャスト、実は袖でも一生懸命唱っています。



2011年3月3日木曜日

「新たなる門手への祝いの歌」

「赤のファウスト」の企画段階で合唱を取り入れようと思い立ったのは良いのですが、合唱曲を作れる作曲家のあてがなく、思案に暮れてました。

その時に、勇気を振り絞って、音楽家の三宅榛名さんに相談に乗ってもいました。榛名さんは丁寧に僕の幾つかの相談に答えてくれたのを思い出します。
まったく予算も、具体的な演出プランもはっきりとしてない段階だったので、榛名さんに突っ込まれたらどうしようと内心どきどきしながら、お会いしたのを今でも覚えています。

その場ですぐに電話して貰い、次の日に合たのが神田晋一郎氏でした。彼は少し緊張気味でしたが、その後立て続けに5本の演目全ての音楽を担当して、毎回、生演奏でピアノを弾いてもらっています。

そして毎回、僕の無謀なプランを面白がって作品作りに挑んでくれています。
苦楽を共にしながら、世界を膨らませてくれる彼の存在は、最早ウンプテンプ・カンパニーには無くてはならない才能です。

と言うわけで、今回は赤のファーストから「新たなる門手への祝いの歌」をUPします。
この曲を聴いて、新たな人間との出会いの経緯がふと脳裏に過ぎった次第です。

ファストが悪魔メフィストフェレスにささやかれ、自ら送ってきた人生を憎悪し悶々とし、悪魔は霊達を呼び、ファウストを誘わせるように歌い出される曲です。そしてファウストは悪魔との契約を交わします。

人が生きている間には知る事が敵わない、陶酔と快楽をお望みのまま与えるが、その代わり「とどまれ。お前は美しい」口走ったら魂を奪うことをファウストは誓うのでした。



唱うは左から/薬師寺尚子/手塚謹弥/土田有希/成田明加/西郷まどか

作曲/神田晋一郎 作詞/ゲーテ 翻訳/柴田翔 演出/長谷トオル


2011年2月24日木曜日

「トゥーレの王様」赤のファーストより

せんがわ劇場で上演した「赤のファースト」からトゥーレの王様。

作曲は神田晋一郎、1番を森勢ちひろが歌い、2番を歌うは小田晃生君でした。

ファーストに出会ったマルガレーテが上気しながら口ずさむ、伝説のトゥーレの国の滅亡の詩だったと記憶しています。
尨犬に姿を変えたメフィストフェレスがマルガレーテの様子を観に来ている場面です。

「トゥーレの王様」は本当は5番まである叙事詩なのです。